もう42年も前になるが、生田勉教授は大学院の最終講義で言った。
「丹下健三の作品は信じていいが、思想を信じてはいけません」
学生時代から親しく付き合った者として、戦中・戦後そして高度成長期を通しての丹下の思想の変化について含むところがあったのだろう。最終講義は、若き日から取り組んできたル・コルビュジエについてだったが、どうしても丹下についてひと言言い残したかったにちがいない。
生田の作品歴を見ると、公共建築は少なく、住宅が、それも小さな独立住宅が多い。公共建築も、スケール感をわざと小さく抑えている。名作として歴史に名を残すのは「栗の木のある家」(1956)や「かねおりの家」(59)のように小さな家ばかり。
最終講義の後、芦原義信教授が入ってきて生田勉の業績について述べた。ル・コルビュジエやルイス・マンフォードの訳者として、住宅作家としての仕事に触れられ、話が終わると、生田さんは後ろを向きそっと涙をぬぐった。
そんなことが42年前にあり、そして2013年になって急に、生田の建築を見たいと思ったのは、おそらく、丹下の伝記作家として私も参加した丹下生誕100周年と関係している。時代と国の記念碑をつくりつづけた丹下の対極には何があるのかを知りたくなったにちがいない。生田もほぼ生誕100年。
今回訪れた「牟礼の家」は61年につくられた生田自身の家である。迎えてくれた娘の翠子さんによると、できた当時、あたり一面は麦畑で、武蔵野の面影がまだ残っていたという。
外からざっと眺めて、単純なつくりであることに驚いた。「栗の木のある家」のように屋根を低く抑えて軒を長く出すようなライト風の印象深いデザインは影をひそめ、立方体の木の箱にちょこっと屋根がのっているだけ。






