
庭師
名取満
20年来の協働 庭師と建築家
最初は茶庭
東香園は明治6年創業で、私で4代目です。小さい頃から家業を手伝い、大学はそのまま造園学科を目指しました。当時はまだ造園学科のある大学は少なく、私は南九州大学に行ったんですが、山梨と宮崎を電車で往復するとちょうど京都で乗り換えるため、よく京都の庭を見てまわりました。今思うと、関西、九州と、植生の異なる各地の木が覚えられ、東京の大学に行くよりよかったかもしれません。
卒業後、父のもとで修業を始めましたが、ともかく「見て覚えろ」と、木の名前も3回までしか教えてくれませんでした。一人前になったと思ったのは、現場でめったにほめない親父にほめられたときかな。「まあまあだな」のひと言でしたが(笑)。38歳の頃です。
横内さんが設計した家の庭を初めて担当したのは19年前で、山梨県内に立つ「竜王の家」(95)です。お施主さんの前の家に親父が出入りしていた縁で、別の広い敷地に新築する家の庭を一からつくることになったんです。
私が手がけた庭をいくつか見てもらい、京都でも横内先生のイメージに合う庭を見てまわりました。先生が影響を受けたという明貫厚(あけぬき あつし)さん(「若王子(にゃくおうじ)の家」の庭を担当)の庭も見ましたが、控えめななかにも独特の美しさがありました。いい庭というのは、まわりをある程度、木の線で遮断しつつも、足元は隅から隅までスーッと見える。そうすると、庭の広がりが出るんですよ。
横内さんと私の庭のつくり方は、雑木を用い、自然でやさしい感じの線を出すなど、似ているところが多くあります。手本はやはり京都です。先生の場合は庭だけでなく、建築もさらっとやさしいですね。
「竜王の家」にはメインの庭とは別に茶庭があり、まずそちらから始めました。ここで教わったのは、飛石の打ち方です。家にどこまで近づけ、どう配置するか。それと、和室から茶庭を見たときのアセビの高さにもこだわっていました。軒のラインが見え隠れするようにしたいと。その茶庭が仕上がったら、「名取さん、あとはお任せね」とお墨つきをいただきました。





