いい機会なので、建築家による打放し探究の最新の成果を述べておきたい。いちいち「建築家による」と念を押すのは、ペレに何年も先立って、発明家や窯業技術者などの非建築家が、立派で大きい打放し建築を実現しているからだ。
 旧鶴巻邸を初めて見たとき、玄関まわりが奇妙な仕上げになっていることに気づいた。打放した後、表面のノロを小叩きして落とし、砂利を現している。表面に見えるのは砂利とセメントモルタルのふたつ。なぜこんなことをしているのか。コンクリートのコンクリートらしい表現としては打放しと思っていた建築史家にはひとつの謎となった。
 この話を10数年前、講演会ですると、会場にいた林昌二が手を挙げ“打放しより小叩きのほうがコンクリートらしいと私は思う”と意外なことを言い、“打放しはコンクリートというより型枠の表現だ”と続けられた。初めて聞く論に、建築史家は返す言葉も知識もなかった。
 でも今なら話すことはある。2012年、ミュンヘンで私の建築展が開かれたとき、キュレーターを務めてくれた建築家のハンネス・レスラー氏から、20世紀初頭のさまざまなドイツの前衛的建築家の作品を案内してもらったからだ。
 展覧会を開いてくれたヴィラ・シュトゥック美術館からしてそうだったし、もっと本格的なのはアール・ヌーヴォー直後のドイツの建築をリードしたテオドール・フィッシャーで、コンクリートの小叩きを盛んに使っていたのである。ただし、コンクリート系仕上げだけでつくられた旧鶴巻邸とは違い、小叩きコンクリートの柱・梁構造の中に赤煉瓦が積み込まれて壁となり、赤煉瓦の面材とコンクリートの線材のふたつが目には映る。代表作はウルムの「兵営附属教会」(11)。
 この関心の延長で、早い時期の全面打放し建築として知られるスイスの2代目「ゲーテアヌム」(28)も見に行ったが、22年につくられてすぐ焼失した初代のゲーテアヌムは、小叩きコンクリートのうえに木造のドームをのせていたことがわかった。設計した神智学協会のシュタイナーはミュンヘンの出なのである。
 フランスのペレの打放しに先行して、ドイツでは小叩きがしきりと試みられていた。当時、ドイツの新しい建築をリードしていたのはドイツ工作連盟だが、現代の進んだ材料と構造、具体的には鉄と鉄筋コンクリートを隠さず表現することをテーゼのひとつとしていたから、その答えとして小叩きの柱梁がむき出されていたのである。ドイツ留学中、ドイツ工作連盟の立役者のペーター・ベーレンスに強い関心をもっていた本野は、帰国後、赤煉瓦の壁面などつくらずにコンクリートだけの自邸と旧鶴巻邸を試み、ドイツ工作連盟のテーゼに、一歩進んで答えたのだった。
 連載をふり返ろう。日本の現代住宅の世界と比べての特徴は、ふたつあり、第1は長く述べてしまったように“打放しコンクリート”である。最近の若い人の住宅を見ていると、打放し以外も目立ってきているが、公共建築の脱打放し化に比べれば、まだまだ力を落としてはおらず、建築家の手がける住宅のベースとなっている。
 2番目の特徴は、“小住宅”。こんな小さな住宅が、これほど多くの建築家によって次々と生まれる国はほかに知らない。世界では、建築家の手になる住宅は集合住宅が主で、独立住宅はまれだ。
 日本の若い建築家はまず小住宅でデビューし、評価されると、大きな建築へと進む道が開かれている。本シリーズで取り上げた現在世界で活躍する建築家も、みな小住宅からスタートしている。しかし、欧米にもアジアにもその道はなく、あってもごく細い。
 戦後、日本ならではのこの道を開いたのが、打放しの小住宅群だった。


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