
1976年に完成し、97年に取り壊されたこの住宅には、3つの「閉鎖」が並存していた。
その第1は外部。高さ4.5mのコンクリート打放しの壁面がそそり立っている。開口部はほとんど見当たらないし、中をうかがい知る手がかりもない。極端なまでの閉鎖性。都会の住宅地の真ん中に出現した要塞としか見えない。そのたたずまいは威容であり、異様でもある。
第2は中庭。8m×6m平面の一端は半径4.05mの半円形になっていて、全周を高さ3mのコンクリート打放しの壁面が巡っている。内部につながる開口部はきわめて限られていて、天空に大きく開かれているばかり。井戸の底にいるような閉鎖感が強い。そこにはタイル敷きもウッドデッキもなければ、美しい芝生も、手入れが行き届いた植栽もない。くつろぎや憩いをもたらす場所とはほど遠く、見かけ上はコートハウス形式をとりながら、実際のありようは通常とはまったく趣が異なっている。
第3は内部。幅3.6m、天井高2.2m〜3.9m、総延長約45mのリニアな空間が中庭を囲む環を形成している。環の一部は半径4.05mと7.65mの円弧になっているので、全体は線対称の閉じたU字型の環といえる。閉鎖的な外部と中庭に挟まれている以上、この内部もまた極度に閉鎖的にならざるをえない。
外部、内部、中庭。3つの「閉鎖」が互いに背を向けるようにして並存している。それでいてなお、相互の関係性が失われているわけではない。3つはどれも自立した、確かな実体でありながら、どれもが余白の、虚の空間でもありえる。これが「中野本町の家」の不思議であり、独自性である。





