特集/ケーススタディ8

象徴性の実態とは

 実体験からというよりは撮影された写真によるところが大きいと思われるが、この広間はしばしば象徴的空間であるといわれる。天井面の45㎝幅のスリットから射し込む光が、白一色のけがれのない空間に刻々と変化する陰影を与え、劇的な効果をもたらしている。巾木や枠といった建築的細部が徹底的に消されている。家具や備品の類といえば、わずかにマッキントッシュの椅子、大理石甲板の丸テーブル、その上方の蛍光灯のスリムラインがあるばかり。全体を極度の抑制と禁欲が支配している。それらからして、ここになんらかの象徴性が感じとられたとしても不思議ではない。
 けれども、設計者の伊東豊雄が当時強く惹かれていることを言明してはばからなかった篠原一男が設計した初期住宅群の広間と比べると、象徴性の質は天と地ほど異なっている。篠原の広間は、見紛うことのない日本の伝統的な空間としての象徴性をもっていた。美しく完璧な比例、整った形、直交する線と面、屹立する独立柱と白壁のコンビネーション。それらはまさに日本の伝統的空間の特質である。設計者の意図を超えて、それらが施主の文化的な志向や社会的ステイタスを象徴する場合もあっただろう。
 一方、「中野本町の家」の広間の象徴性とは何か。伝統ではもちろんないし、聖性、格式、権威のいずれでもない。70年代前半の都市の状況に対する伊東の生理的な反応が、篠原の空間を媒介として結晶化し、設計者も意図しなかった象徴性がもたらされたというのが正しいのではないか。60年代末の騒乱を超えた70年代は、オイルショックを挟みながらも経済は急成長を止めず、都市はゆがみを抱え込んだままいっそうの喧騒と混沌に突入していった時期である。伊東はいささか内に閉じこもり気味ではあったが、自らが生活し活動している都市の状況と無縁ではありえず、喧騒と混沌への反応として、それと通底しながらも一見すると対極的と見える空間をU字型空間に密封したのではないか。
 なんの出来事も起きず、空っぽの器であるときには、静謐で安定し、神秘的ですらある空間。そこに不意に人が現れては横切ると、床面近くに設置された投光器によって、濃淡さまざまの、ゆがんだ、輪郭の定かでない幾重もの影が白い曲面に映し出される。するとたちまち、落ち着きどころがなく、ゆらぎ、不安定な空間が現出する。これが「中野本町の家」の広間の象徴性の実態であって、それが孕んでいた二律背反はほどなく露わになって、伊東をして次のステップに向かわせる強い推進力となったのである。


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