特集/ケーススタディ7

「長い距離」と「ガランドウ」

 さて、長谷川逸子が小住宅でテーマに据えた「長い距離」とはなんだろう。大きな住宅で長い距離をとってもあたりまえすぎてインパクトはない。小住宅だからこそ、そこに現前する長い距離は、威力を発揮するのだ。
「距離をつくることによって生活の複雑さを引き受けられる場にしようとしたのです。生きる場所というのは、そう簡単に整理できるものではないという認識があります。それはもっと混沌としたもので、変化もするし、固定しないものだと考えています」(*8)
 限られた予算の小住宅で何が施主にとって一番必要なものか。住みはじめ、時がたち、生活が変わっていっても、それを柔軟に受けとめうる生活の場を、長谷川は長い距離で保証しようとしたのである。彼女は後に「ガランドウ」という言葉を好んで使うようになるが、ガランとした空間も長い距離も、彼女にとって言いたいことは同じである。
 長谷川のガランドウは、特化した機能主義的空間とは対照的に、生起するさまざまな出来事をおおらかに引き受ける場、空間、ヴォイドである。「長い距離」という言葉で彼女が説明してきた「緑ヶ丘の住宅」も、じつはガランドウといってもいい。
「私の設計する住宅ではすこぶる天井が高い。一般的には2400㎜くらいだと思うが、2700㎜ある。住宅はデビュー作から一貫してこの寸法だ。私は高校生のときまで民家に住んでいて、その家の2700㎜という天井高が身体にしみ込んでいるせいだろう」(*9)
 2700㎜があたりまえと思っている長谷川にとって、この住宅で高さが話題になることはなかったが、住宅の天井高としては明らかに高い1枚の壁を斜めに入れて、彼女がこの住宅で無意識につくり出そうとしたのは、10mの長い距離をもつガランドウだった。パースペクティブな空間や抽象的建築をつくりたかったわけではない。
 ガランドウは大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さくしか響かない。使用者の使い方次第である。だから長谷川は、住宅の場合は、施主と生き方についてもとことん話をし、公共建築では、ワークショップや対話集会を市民と何度も開いてガランドウの運営を一緒に考える。彼女のガランドウは『老子』を思い出させる。「無之以為用」。老子はこの女性建築家のそばで耳を傾け、静かに微笑んでいる。

参考文献・出
*1・5・7・8/ 『長谷川逸子/ガランドウと原っぱのディテール』 ディテール別冊、2003年7月刊、彰国社
*2・4・9/『海と自然と建築と』2012年、彰国社
*3/『SD』1985年4月号、鹿島出版会
*6/『新建築』1976年9月号、新建築社


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