藤森照信の「現代住宅併走」
「日本のモダニズムをたどるとき」 設計/山口文象

 山口文象の自邸を見たい、と思った。昭和初期に始まる「木造モダニズム」の問題を考えるうえで、山口の存在は欠かせないからだ。
 と、急にいわれても戸惑う読者のほうが多いだろうからあらためて説明すると、昭和初期に勃興した日本のモダニズム建築には、モダニズムをリードしたヨーロッパにはない興味深い課題があった。伝統の木造の一件で、1920年代初頭、ヨーロッパで誕生したモダニズム建築と日本の伝統的木造建築には共通点があり、それに気づいた日本の若い建築家たちがどう対応したか、という問題群である。
 たとえば、アントニン・レーモンドは、ル・コルビュジエのプロジェクト案と日本の木造との接点を巧みに生かして名作「軽井沢夏の家」(33)をつくり、その直接的影響によって戦前の段階で「前川國男邸」(42)や丹下健三の実質的デビュー作「岸記念体育会館」(40)が生まれ、戦後になると吉村順三の名作「軽井沢の山荘」(62)が登場する、といったように日本のモダニズム建築は木造を経験するなかで柱と梁の軸組の美や屋根の意味を知り、そのことで初めてヨーロッパのモダニズム建築とは違う成果をあげ、世界的な評価を得ることができた。
 もし、木造の伝統という細いまわり道を経なければ、世界の先端に届くことは難しかったにちがいない。
 そうした関心からこれまで藤井厚二、堀口捨己、レーモンド、前川、丹下、吉村などの仕事を追ってきたが、山口文象には触れなかった。正確にいうと黒部川第二発電所(36)のような山口のモダニズム建築には関心を払ったが、木造には触れてこなかった。理由は「林芙美子邸」(41)のような木造住宅を見ても、どうとらえていいか糸口が見つからなかったからだ。伝統のままのような、そうでもないような、語る言葉が見つからない。


>> 「自邸」の年代別1階平面図を見る

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