設計者が気づいているかどうか知らないが、私は、ふたつのことから確信した。ひとつは階段の途中に、クレバスがつくられ、下から裏の竿から吹き込む風が吹き上がっていたこと。もうひとつは、「表の竿の玄関の扉を天井までの大開口にどうしてもしたかった」と設計者が語ったこと。風は引っかかりのない開口からスムーズに入らなければいけないし、入った風は上昇して空に抜けないといけない。
 こうしたわかりやすい筋道は、大西麻貴百田有希ならではのもので現代建築には欠けた質だと思う。今、こう思い返してみると、帽子の家の中でも、逆ロウト状に床が持ち上がり、地上の風が吹き上がって空に抜けるように、少なくともイメージはそうなっていた。
 見て、考えてが一段落した後、つむじ風の中心に位置する無風地帯の1階主室(食堂兼居間)で、施主の岩淵聡・あさき夫妻から、設計者との出会いについてうかがった。
 湾岸の高層マンションに住んでいたが、“もっと幸せな住まい方があるのではないか”と思うようになり、まずあこがれの青木淳と塚本由晴に会った。でも、あこがれよりは、同世代の感覚のほうが大事と気づき、ネットであれこれ探すうちに帽子の家の存在を知り、大西麻貴百田有希の名を知り、さらにインターネットラジオの番組に出演した大西の口調(とてもゆっくりしている)や話に親近感を覚え、会いに行き、古くても心地いい事務所のたたずまいも大いに気に入り、依頼した。
 施主夫妻は34歳の同級生で、設計者は29歳と28歳。
 施主と設計者の新鮮な出会いが、こうしたさわやかな住宅を生んだにちがいない。


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