イベントレポート
豊饒の旅へ
レポーター=高木正三郎
かの地の生活者が創り出す日常風景、観光地としてにぎわう風景、そこを旅すれば、誰でも遭遇することのできる風景でありながら、杉本が拾い上げた風景でもある。デザインを語るデザイナーが、自ら見てきたモノを開示するのは全く王道の、というよりごく自然な振る舞いである。だが、講演やスライドレクチャーなどの過ぎゆくものとしてではなく、一冊の書という社会的産物として結晶している。作品集だと思ってこれを手に取れば、そこには様々な意見があるかもしれない。杉本は無論それを承知でやっている。編集している。それに「責任」の二文字を添えている。
技術論や社会論などをよりどころに三段論法的で作品が語られる、ような構成ではない。ものつくりの舞台裏が告白されているわけでもない。あるのは、作品を埋没させるかもしれない旅の風景群である。それらがどう作品と関わっているのか、あっけらかんと黙されている。受け手の感性に向かって放り投げられている。そのギャップに唯一「発酵」という二文字が当てはめられる。しかし、「発酵はするんですよ、自分で意識するかしないかということではなくて」と、その作為すらも否定される。おそらくは、デザインの手引き書としてなにかを得ようとすると、遠ざかっていく。
こういう危なげなものを世に送ったのはなぜか。幸運にも、それらの推測に虚しく終わることなく、ずばり本人の肉声によって直接疑問を晴らす機会を得た。小雨降る福岡の会場は定員637名。ほぼ満席。地方都市の民度が測られる瞬間。杉本の肉声ははっきりと力点を持っていた。
「綺麗なものだけが、私たちを豊かにするのではない」
「文化の違いこそが、私たち人間の豊かさ」
互いの文化を認めよう、といった啓蒙的な呼びかけではない。自らのものとは異なる文化に触れた時やその箇所に、むしろ豊かさが醸成するのだ、との確信である。量や質による豊かさでもない。時に争いを起こす根元でもある文化の差異は、真の豊かさの根元でもあると言っているようである。建築はもちろん、衣服にも、食べ物にも、五感で感じられるあらゆるものの差異=摩擦熱のようなものが産み出した豊かさを、杉本の旅は探り寄せている。空間をデザインするとは、そのどん欲なまでに呑み込んだそれらの咀嚼と再生なのであろう。そこでは、美しいとか醜いとかの分別から自由な世界が、自ずから拡がる。無分別智=ものごとを分別しない智慧、そこから産まれる自由。かつて道元は只管打坐(しかんたざ)「仏になろうという目標など捨てて、只、座り続けなさい」と言った。美しいデザインをしたいなどの焦慮は捨てて、人々とその風景に文化のヒダを見届けよ、そういうメッセージがこの書の全身全霊に込められているように思った。
高木正三郎 Shouzaburo Takagi
1969年
福岡県生まれ
1994年
早稲田大学理工学部大学院修士課程終了
1994年
早稲田大学理工学部建築学科 石山修武研究室個人助手
1999年
設計+製作/建築巧房 開設
現在
早稲田大学 福岡大学にて非常勤講師