Case Study #4

アジアで設計するということ
インド・シャンティニケタンの学校を訪ねて

作品 「シャンティニケタンの家」
場所 インド・シャンティニケタン
設計 佐藤研吾

聞き手・まとめ/伊藤公文
写真/佐藤研吾、山内秀鬼(ポートレイト)

  • 佐藤研吾さん。改修設計・施工を担当した東京・北千住の「BUoYアートセンター」にて。

  • 福島県大玉村での活動
    藍染めなどの共同作業から始まる暮らしを提案。写真は藍がテーマのお祭り。
    撮影/comuramai

高山建築学校が今につながっている

佐藤さんは1989年生まれ、学部は東京大学の建築史の伊藤毅研究室、そこから大学院修士課程は早稲田大学の石山修武研究室に進んだのですね。

佐藤研吾建築史に関心がありながら、本分は設計にあると思って、設計課題で指導をしていただいたことがある石山さんの研究室に入り、修士課程を終えた後、石山さんの事務所に入って、ふたつの幼稚園の設計にもかかわって貴重な実務を経験することができました。

並行して、飛騨高山の建築学校に参加していた。

佐藤ええ、2009年、11年、12年に参加しました。ものづくりをとおして多くの人たちと強いつながりをもち、その関係は今も続いています。建築、生態学、服飾、工芸、デザイン、演劇、食品など幅広いジャンルに専門性をもつ人たちで、後に親しく協働することになる大工の青島雄大さんともそこで知り合いました。

それが歓藍社というグループに発展するわけですね。

佐藤はい。生態学を勉強する林剛平さんが震災後の調査で福島県大玉村を訪れたことがきっかけで、農業従事者の高齢化がせまる村の暮らしについて考え、身近なことから実践していこうという趣旨で立ち上がったグループで、高山建築学校の参加者が多くかかわっています。藍の栽培や藍染めを中心にものづくりの活動の輪を広げようとしています。

  • 「シャンティニケタンの家」の1階ホール。置かれている家具も設計した。

  • 家具のスケッチ
    1階ホールに置かれている座椅子のスケッチ。制作したテーブルに合わせて、何枚も描き緻密に設計している。
    スケッチ/佐藤研吾

  • 入口側の外観。周囲にはブロック塀とフェンス。防犯のため、玄関扉にも鉄格子。

「日本風の家を考えてほしい」

その一方で、インドとの関係が築かれていったのはどういう経緯からですか。

佐藤石山さんに導かれてです。13年、アーメダバードにあるセプト大学の卒業設計の講評に石山さんが招かれましたが、その際に同行したのが始まりです。
 そのとき、ほかの教育機関を見てみようと、アーメダバードから南に200㎞くらいのバローダ・デザインアカデミーという建築の単科大学を訪れたことがきっかけで、14年、日本の学生も募ってワークショップを開催し、翌年、翌々年も行いました。

アーメダバードもバローダもインド西部ですが、住宅を設計したシャンティニケタンははるか東ですね。

佐藤バローダに何度も足を運ぶにつれ、インドと日本の関係をもう少し深く知りたいという想いから、日本の岡倉天心とも関係が深かった詩人・思想家のラビンドラナート・タゴールに関心をもち、彼がインド東部の西ベンガル地方の森につくった「森の学校」の地、シャンティニケタンを訪ねました。
「森の学校」が、現在のヴィシュヴァ・バーラティ国立大学の前身です。この大学が日本との関係を今も強く保っていることを知り、日本とバローダの学生を含めた三者でワークショップの開催を提案し、賛意を得て、17年3月に「インフィールドスタジオ」と題して実施しました。
 そのとき、同じ町シャンティニケタンの住人で、詩人のニランジャンがフェイスブックを通じて私に連絡をとってきました。彼は日本に留学経験があり、書や茶を嗜む日本通で、「現地インドの建築家が自宅を設計中だが、立面を日本風にしたい」ので提案してほしいということでした。

それはまた面妖なリクエストですね。

佐藤とまどいましたが、原型には手を付けず、蔀戸(しとみど)を思わせるような窓の絵を送りました。
 しかし、何の反応もなかった(笑)。それで終わりのはずでしたが、折角なので新たな案をつくって、日本からインターネットで送ってみました。
 床面積は変えず構成を根本から変えた案ですが、その時点で僕のなかにこのプロジェクトに取り組む強いモチベーションが生じました。幸い受け入れられて、やりとりが始まったのです。

インドと日本での設計を並行

それが実現したわけですね。

佐藤そうです。形状は4間四方の平面、2階建て、外周はレンガ積み、真ん中にコンクリートの扁平な柱、勾配屋根というシンプルな箱で、このじゃっかん閉鎖的な箱を外殻とし、内部に木材の造作が吹抜けを介して自由に展開するという構想です。

木材による造作は佐藤さんが望んだのですか。

佐藤同じ時期、東京の北千住でコンクリートの建物の内部を改修する仕事をしていました(BUoYアートセンター)。青島さんが調達してきた木材の傍らでテーブル、カウンター、扉などのスケッチと図面を描き、青島さんがつくるという共同作業に手ごたえを感じていました。その延長をシャンティニケタンでも行ってみようと。
 並行して、東京国立近代美術館の「日本の家:1945年以降の建築と暮らし」展に連動する企画として機関誌への寄稿を依頼されていて、挿絵のためにこの住宅の模型をつくろうとしていました。現場では工事が始まっていて、送られてくるコンクリートとレンガの箱を見ながら、原稿に追われるように内部の構成を考えました。
 このふたつが重なって、線状の木材による構成を考えるに至り、点在する家具の姿も浮かび上がってきました。

それが施主の望む「日本風」に応えるものだったのですか。

佐藤いわゆる「日本風」をなぞろうとしても、まがいものにしかならない。施主と僕とのあいだで何度もやりとりをし、内部は僕と青島さんが考え、一部の家具をつくって送り出したうえで、インドに渡って2カ月滞在し、現地の職人たちと共同で施工したわけですが、その往還、交流の過程に「日本」が表出されるのではないかと考えたのです。プロジェクトのタイトルを「インド・シャンティニケタンに同志を募って家を作りに行く」としたのはそれ故です。

設計は現地の建築家と共同で行ったことになるのですか。

佐藤そうです。50分の1の図面を起こすまではしましたが、構造計算とかA4用紙4枚程度の簡単な確認申請書提出などの法律上の実務は現地の建築家に委ねています。もともと基本構想のアイデア提供という程度の役割からのスタートで、ビジネスとして設計業務を成り立たせようとは思っていませんでした。現実に設計料は私と青島さんの渡航費のみでした。

  • コンクリートと木と鉄の組み合わせ
    ホール
    1階のホール。左手のコンクリート柱が建物の中心にあり、田の字平面を形づくる。右奥の木製扉が玄関。扉や窓には防犯のために鉄格子が入る。

  • コンクリートと木と鉄の組み合わせ
    茶室
    2階の茶室。庭に張り出した角に位置し、2面を鉄製枠の大きな窓にしている。写真のコンクリートの丸柱の前に茶釜。周囲は可動の畳敷き。

  • コンクリートと木と鉄の組み合わせ
    ラウンジ
    1階のラウンジ。手前に木製の座椅子。奥の台は囲炉裏。上に鉄製自在鉤。窓から入る光に合わせ、家具は低く抑えるように設計されている。

  • コンクリートと木と鉄の組み合わせ
    階段の手すり
    階段の手すり。先に、施主のニランジャンさんが鉄製部分をつくり、佐藤さんが現場に入ってから、木製部分を設計・施工した。

  • コンクリートと木と鉄の組み合わせ
    外観
    北側の建物外観。張り出した部分は2階の茶室。屋根の梁型は、スラブと一体で打設されている。

  • コンクリートと木と鉄の組み合わせ

    施主がつくりあげた庭。柿や夏みかんの木などが繁茂する隙間から建物の屋根がのぞく。屋根の上には煙突状に貯水槽が置かれている。

  • コンクリートと木と鉄の組み合わせ
    書斎
    2階の書斎。施主はここで詩を創作する。手前は吹抜け。奥の書棚は、中央下部に開口が設けられ、背後の茶室へとつながっている。

  • 計画段階の内部造作の模型。日本で模型をつくり、建主にその写真や図面をネットで送り、木材調達を依頼していた。
    撮影/山内秀鬼

インドで設計を続けるために

施工は順調でしたか。

佐藤施工精度はあまりよくなくて、こちらの図面とは納まりが違う部分も多くありましたが、それも含めておもしろいと思いました。むしろそうした施工の粗さは所与のものとして受けとめて、内部の造作の精度をすり合わせていったという側面もありました。
 想定外だったのは「心」という大きな額入りの書を1階中央に置きたいという施主からの要望でしたが、吹抜けの上部に掛け、階段の手すりがフレーミング効果をもたらすようにして、存在感を和らげることで合意を得ました。

完成した結果はどうでしたか。

佐藤基本は床座という当初の合意もあって、開口部の位置を低くしています。そのためインドのほかの家に比べて室内が暗いといわれますが、室内の隅々にぼんやりとした暗がりがあることは、施主も私も意図したところで、この住宅の最大の特色です。
 また、茶室入口の衝立状の造作や階段の鉄の手すりなどは施主自身が指図してつくったものであるように、この住宅はインドと日本の、施主、設計者、職人の共同作業の結実であって、その役割の境目は不分明です。それはいい加減というより、ほどよい混成だと思います。

将来、インドで設計の仕事をする可能性はありますか。

佐藤そうしたいとは思っていて、萌芽がないわけではないのですが、現実には道は近いとはいえません。本格的に仕事をするとなれば、現地の設計者との協働が前提としても、僕自身がインドに今よりも長く滞在するかオフィスを構えるくらいのことが要請されるだろうから、現時点でそこまでは踏み出せません。それに先立って、今は「日本風の家」のデザインをする人と位置付けされているので、そのイメージから抜け出す必要も強く感じています。

インドで設計しようとする際に、突破口はどのあたりにあるでしょう。

佐藤あるとすれば、インドでは教育機関が多いし、多様なので、そこで教え、研究している人とつながりをもち、彼らとパートナーシップを組んで、共同で設計を行うこと、あるいは、自分自身でプロジェクトをつくることが考えられます。後者がじつは一番の近道かもしれません。

  • 施工中
    RC造の柱梁とレンガ壁は同時に施工される。レンガ壁に穴をあけておき、竹を差し込むことで、内部の足場としている。

  • 施工中
    軀体工事の完了後、インドに2カ月間滞在し、現場で内部造作の設計を行った。写真は現場の庭で設計を行う、佐藤さん。

  • 施工中
    歓藍社のメンバーたちも渡航し、得意の分野で共同した。写真は木工作業を行う河原伸彦さんと、布を染める渡辺未来さん。

  • 施工中
    書斎の内部造作の組み立て作業。庭で加工した木材を、手作業で合わせていく。写真は佐藤さんと大工の青島さん。

まとめ

「手」と「開放系」の組み合わせ

文/伊藤公文

 佐藤研吾さんは「手」の人である。
 ひとつの座椅子をつくるためにおびただしいスケッチを描く。即興的に見えながら、じつは正確に寸法が与えられ、丁寧に描写されている。運び入れられた木材が穿たれるさまを横にアイデアを練り、木材に触れながらつくり出すべき姿のイメージを図面に落とす。描くこととつくることが不即不離の関係にある。
 佐藤さんは「開放系」の人である。
 出自は建築系だが、高山建築学校から歓藍社に至るネットワークはジャンルの境界が取り払われた開放系のつながりである。インドの東西をまたぐ活動は、知人、友人の末広がりのネットワークの産物といえる。やわらかな開放系ネットワークだ。
 この「手」と「開放系」の組み合わせが有効に働いているのは、佐藤さんのものごとに向かう姿勢による。既成の知を座して学ぶ以上に未知の現場に立ち会ってリアルな知を吸収しようとする意欲が勝り、さらに、その現場に身を投じて楽しむことを優先させる姿勢である。藍染めも、工作も、スケッチも、インドでのワークショップも設計も、無垢な身体性の発現と受容という点では差異がないのだろう。

 紅顔・痩身の青年の前に、今のところは可能性の沃野が広がっている。現在は再び東大の歴史研究室に在籍しているが、当面は研究に費やす時間を優先するのか、国内で行ってきた諸々の活動の遠心力をさらに高めていくのか、インドの地で建築を設計するという願望の実現に突き進むのか。いずれにしてもこれから先、インドとの関係が途切れることはないとして、研究、教育、計画、設計、施工ほかさまざまな局面で、彼の身体をとおして日本とインドがどのような融合・離反を生じ、どのような成果が現れてくるのか、たいへん興味深い。

「シャンティニケタンの家」
  • 建築概要
    所在地 India、West Bengal、
    Santiniketan
    主要用途 住宅
    家族構成 夫婦+犬
    設計 佐藤研吾/In-Field Studio
    設計・構造設計協力   Milon Dutta
    施主 Nilanjan Bandyopadhyay
    構造 鉄筋コンクリート造
    (柱、梁、床)、
    レンガ組積造(壁)
    施工協力 青島雄大、はしもとさゆり、
    渡辺未来、河原伸彦、
    瀬辺茂、マイアミ、
    向井麻理、向井翔馬
    階数 地上2階
    敷地面積 260.12㎡
    建築面積 51.84㎡
    延床面積 96.92㎡
    設計期間 2016年10月〜2017年11月
    工事期間 2017年4月〜2018年2月

  • おもな外部仕上げ
    屋根 鉄筋コンクリート打放し
    外壁 モルタル荒仕上げ
    開口部 木製建具、鉄格子
    外構 モルタル荒仕上げ
    おもな内部仕上げ
    モルタル、石板
    モルタル、漆喰、木製造作
    天井 鉄筋コンクリート打放し

Profile
  • 佐藤研吾

    Sato Kengo

    さとう・けんご/1989年神奈川県生まれ。2011年東京大学卒業。13年早稲田大学大学院修士課程修了。13年〜STUDIO GAYA。15年〜インドのバローダ・デザインアカデミー助教。15年〜東京大学大学院博士課程在籍。16年〜歓藍社(かんらんしゃ)。17年〜In-Field Studio主宰。18年〜福島県大玉村教育委員会の地域おこし協力隊。おもな作品=「烏山翼保育園」(16、STUDIO GAYAで担当)、「BUoYアートセンター」(17)。

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