4月上旬というのに、その日は暑いほどだった。
リヨンから在来線でラルブレル駅に着いたのだがタクシーがない。途方に暮れていると、この地域に住んでいるらしいご婦人が親切にも自分の車にのせて連れて行ってくださった。徒歩で20分と駅で言われたが、重いキャリーカートを引いていたから40分はかかっただろう。
美しい新緑の小高い丘の上にその建物が見えてきた。あれだ、ついに来た。ドミニコ会から依頼された修道院。極限のヒューマンスケールをどう料理したかを見たかったのだ。ル・コルビュジエ(*1)73歳の頃の作。
泊まることができるというが現役の修道院ということで覚悟をしてきた。だが、それはうれしくも裏切られることになる。
これまで穴があくほど『GA』の二川さん(*2)の写真を見てきたが、それがここにある。大きなマッス。僧坊。鐘楼。礼拝堂は15m460と高い天井。静謐なコンクリートの肌。ピーンと張りつめた空気。低い天井についたあの3つの鮮やかな色の丸いスカイライト。計画では高いほうの壁面はダイヤモンド・カットのようなデザインであったが実現しなかった。
禁欲的とよくいわれるが、隆起した石みたいな沈黙のロンシャンの教会より、ずっと饒舌に見える。
約100室の同じ形の僧坊は一部を宿泊できるようにしてある。内法5938×1834㎜の細長い平面。幅は京間の畳長さよりちょっと小さい。奥行き1495㎜のブリーズ・ソレイユ(*3)がついて、芽吹きの木々が見えるせいか意外に明るい。仏教寺院の僧坊のようなものを想像して来たのだが暗さがまったくない。何度も塗り直したような窓とドアまわりの赤、黄、緑、黒のペイントは、今やなつかしいあの色。蚊除けの金網がついて、風を通す幅265㎜の小さなドアがかわいい。
トイレとバス・シャワールームは当然共用。男女ともそれぞれ僧坊2モデュールを使っていて清潔で必要最小限。too muchの世界からやってきた私にとって、このぎりぎりの装備は潔くてさっぱりさえする。
ディナー。赤ワインがテーブルに出ているではないか!
米をゆでたようなサラダ。丸ごとのゆで卵にソテーしたほうれん草を絡めた料理。デザートにはオレンジとチーズ。質素だが決してまずくはない。ホテル代は朝夕の食事がついて51€という安さなのに。
食堂の高いガラス面は幅42㎜と細いコンクリートのマリオン(*4)。そのピッチは230から1450㎜ほどまでたくさんあって、オーケストラの音楽になっているのだとサービスの女性が解説してくれる(設計協力をしたヤニス・クセナキス[*5]によるものか)。
宿泊客はほとんどが建築関係者ではないかと思われ、その日も台湾の女性建築家、ニューヨークの若い建築家夫婦と意気投合。楽しい夕食となった。
すでにして古典だが、この明るい透明感、ちっとも古くなっていない……と思いながら共用のシャワー室を使い、少し小さいベッドをメーキングしてすがすがしい気分で眠りに落ちる。
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*1/Le Corbusier(1887〜1965):スイスで生まれフランスでおもに活躍した建築家の巨匠。パリ・ヴォワザン計画(1925)、「サヴォワ邸」(31)、マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」(52)、「ロンシャンの教会」(55)、「ラ・トゥーレット修道院」(60)、チャンディーガルのプロジェクトなど作品は多数。
*2/二川幸夫(1932〜2013):建築写真家。建築写真専門誌『GA』を発行した。受賞多数。
*3/ブリーズ・ソレイユ:フランス語で「太陽を砕く」という意味で、庇状のルーバーをル・コルビュジエが好んで使った。
*4/mullion:開口部材を支える垂直の間柱。
*5/Iannis Xenakis(1922〜2001):ルーマニア生まれのギリシャ系フランス人の現代音楽作曲家、建築家。アテネ工科大学で建築と数学を学び、レジスタンス運動に参加。ル・コルビュジエの弟子となり、モデュロール理論の発案、ラ・トゥーレット修道院などに携わる。





