特集

「O project」のキッチン棟にて。この増築を媒介として、主屋と敷地隣にある公園の関係性が、劇的に変化している。 写真/川辺明伸

2022年 春号 主屋を変革する増築‑ インタビュー ‑上の句の主屋と下の句の増築

インタビュー/宮城島崇人
聞き手/伏見 唯

リノベーションが建築家の仕事として認識されるようになって久しいが、今回注目したいのは「増築」という手法だ。増築は部分的な操作に見えるかもしれないが、ガラリと全体をつくり変えてしまうリノベーション以上に、建築家のアイデアや姿勢が目に見えて表れるように思われる。建築家は現在、増築という手法にどのような可能性を見出しているのだろうか。宮城島崇人さんに聞いた。

連歌のごとく増築を

伏見本特集でイメージしたのは、古代からたしなまれている連歌(*1)でした。上の句が詠まれ、それを受けて他者が下の句を詠む。下の句がいかに詠まれるかで上の句のあり方も一変するのですが、上の句を住宅の既存主屋に見立てれば、「主屋を変革する増築」は下の句に相当するのではないでしょうか。

宮城島増築によって既存の主屋が孕んでいた性質が変わる、ということですね。僕の場合は、上の句を既存主屋という建築単体ではなく、環境や住文化や社会などさまざまなレベルでとらえ、それらに対して下の句を詠み返していきたいという想いがあります。

伏見建築家が手がけるうえでは、単に人が住めればよいものをつくるのではなく、環境や社会を変えていこう――すなわち「変革」という意思があるかと思います。宮城島さんがおっしゃった環境や住文化といった課題は大きなもので、あらゆるものを包含することが求められる新築では、時として命題に対する解が見えにくい。一方で、部分的に手を加える増築からは課題が明確に見えやすく、解もわかりやすく建築として結実するのではないでしょうか。

宮城島確かに更地に新築するよりも、増築はビフォア・アフターが目に見えてわかるので、コンセプトを表現しやすいし、人間の認識や暮らしを変えたいという建築家の意思も浮き彫りになりますね。

伏見人を変える、ということでいえば、「居は気を移す」という孟子の言葉があります。住宅は人の気分や性格を変えるほどの力があるというのがその意で、宮城島さんの「O project」でも同様のことがいえるのではないでしょうか。閉鎖的だった主屋を増築により公園に開くことで、住宅と公園の関係性が変わり、さらにコミュニティづくりのきっかけにもなり得る。

宮城島新しいものが加わることで既存の環境や価値観、認識が変わる現象には興味があり、そのような気づきを与えられる場所をどれほどつくれるかは、つねに意識しています。まずは身のまわりのことに関心がなくては、世界とのつながりが感じられず、自分が世界というひとつの大きな環境のなかで生きているという実感も湧きません。「気」と同じく、自分が身を置くまわりのことも観察するようになると世界が豊かになる。そのための下地となるような建築をつくりたいですね。

主屋に従属せずに“対話”する増築

伏見「O project」でいえば、増築棟は既存の主屋の延長とは一線を画したつくり方をされていて、あえて文脈を断ち切ることで、大量生産された2×4住宅である既存の主屋の見え方が相対的に変わってくる。今回のケーススタディ4件は、いずれも既存部に融合されず、独立した存在としてつくられているところに共通点があり、たとえ主屋が壊されても増築部だけ存続していくことも可能で、逆に増築部をいつでも壊すこともできるのが興味深いところです。

宮城島僕にとって自立性というものは人格のようなもので、2×4の主屋には2×4の人格があり、そこは否定したくはないのですね。もちろん構造や法規、コストなどの制約はありますが、既存の主屋をそれたらしめている要素を改変したくないのです。人格を剝奪して主屋と増築部があいまいに溶け出して一体化してしまうと、対話ができなくなってしまいます。あくまで主屋と増築部は異なる存在でないと、それぞれのバックグラウンドやよさが引き出されず、新しい可能性が生まれる芽を潰してしまいますから。
 リノベーションを引き合いに出すと、増築に比べて介入の深さに幅があり、既存部に対して改修した部分を明快に提示する手法もあれば、崩して一体化することも容易です。一方、増築は、既存と増築という明瞭な輪郭をもっているので別人格を保ちやすいですね。

次世代に手が入ることを見据えて

伏見既存と増築の輪郭をつくる、ということでいえば、ムトカ建築事務所の村山徹さんと加藤亜矢子さんが手がけた「家と庭と代(しろ)」は、再建築不可住宅ゆえに50年にわたり無作為な増築が繰り返されてきた背景があります。現行法規では永遠にリノベーションされることでしか存続できません。将来的に手が入ることを見据え、そのときに何らかの手がかりがないとやりにくいだろう、と下地を整理するような増築です。

宮城島最初に既存に対して手を加えるのなら、元の主屋をつくったときと同等以上の理念をぶつけたり、痕跡を残したりしておかないと、創建当初の理念があいまいになったまま引き継がれてしまいます。結果としてさらに次に携わる人は困るでしょうね。建築家が増築に対してこのような姿勢をとるようになったのは、やはりスクラップ&ビルドが終焉を迎えたことが社会的にも認知されるようになった、比較的最近のことではないでしょうか。
 いずれにせよ、今この時代を生きている僕らがどのような理念をもっていたか建築に残していくことは重要で、そのような見方で増築をとらえている節はあります。その時代で手を加えたことがわかるようにして時を重層させていくという意味では、文化財の保存・修復にも通じるものがあるかもしれません。

異質なものの出合いが生む化学反応

伏見文化財でいえば、鉄骨トラスを用いた東大寺大仏殿の明治の大修理はその一例ですね。修理した場所を明確にするための構法です。今回のケーススタディでは、メグロ建築研究所の平井充さんと山口紗由さんが手がけた「代々木の渡廊(わたろう)」にも通底するものがあります。清家清が1970年に設計したRC造の主屋と、氏の事務所・デザインシステムが敷地内に1988年に建てた鉄骨造のはなれを、ガラスと木軸でできた軽やかな渡り廊下でつないだもので、上の句と下の句の次にさらに増築という新たな一句を詠むことで、既存住宅の個性を浮き彫りにし、時間軸や歴史性を明瞭に表現しています。

宮城島歴史性の表出も、環境や都市の特徴も、性質の異なるもののレイアウトとして認識されるので、やはりそれらはあえて溶け込ませないで、異質のものとして並べてみたいですね。人間関係も同様で、異質なものとの出合いには化学反応があると思うのです。もちろん、やってみないとどのような反応があるかわかりませんが、建築は、都市空間に対してもっと実験的な姿勢で向かってもよいのではないでしょうか。

伏見その点、増築はまさに異質なものの出合いであるともいえます。たとえば當麻寺(たいまでら)本堂が古代仏堂から中世仏堂に変容する過程には、異質な要素が出合うタイポロジーが見て取れます。本来は仏堂だけだったところ、人が拝謁するための空間が必要となり、増築がなされて双堂(ならびどう)(*2)のように。それまで閉鎖的だった本堂が増築により「見られる」空間になっただけでなく、仏のための空間に、人間という異質なものに合わせた空間が付随することで、仏堂全体の空間性が切り替わり、両者が調停を図るために境界面が生まれ、ディテールに創意工夫が凝らされ、建築として成熟を遂げる。「O project」も、境界のディテールに意識的ですね。

宮城島双堂の状態は、異質なもの同士の出合いを彷彿とさせますが、その後の過程は改修よりの増築という印象を受けました。「増築による変革」を考えたときに、増築には新築よりの増築と、改修よりの増築があるのかもしれません。主屋と増築は、ある種の依存関係でもあれば共犯関係や対立関係にもなり得るなど、さまざまな関係性が考えられますね。
「O project」でいえば、主屋に接するように新築をつくったようなところもあり、自立性を強く意識しているため、境界面のディテールもあえて寄り添わせないことを心がけています。

伏見主屋の外壁を残して増築棟から見えるようにしたり、主屋と増築棟に段差をつけたり、増築棟の柱に象徴的なスケールを与えたりなど、さまざまなディテールの集積から自立した境界への意識がうかがえます。

自立性から得られるもの

宮城島自立性の追求には、対象から一歩引いて、客観的に見られる距離感がほしいということがあるのかもしれません。一体化してしまうと、主屋と増築棟を対象化して見ることができなくなり、互いを引き立て合う関係性があいまいになってしまう。そのために素材や光、スケール、高さといったさまざまなエレメントの対比を積み重ねることで、本質的な成り立ちの違いを鮮明に可視化し、距離感をもって眺められるようにする。完全に一体化すると近視眼的になり、本質が見えなくなることに警戒心をもっているのですね。

伏見その視点は増田信吾さんと大坪克亘さんが手がけた「始めの屋根」にも相通じるものがあるように思います。築50年の鉄骨造の主屋とはなれ、庭の関係性を結ぶべく、主屋前面に4本の鉄骨柱で支えられた薄いスチールの屋根と階段を増築したケースで、主屋や周辺環境に対して増築部はデザイン的に明らかに異質です。しかし住宅からスケールアウトした屋根と柱があることで、おのずと遠くへ目が向き、暮らしがのびやかになる。増築部は遠望に意識を向けさせる装置ともなり得るのですね。「O project」でも、開放的な増築棟を通じて遠くの山の存在が感じられる環境との接続がなされています。

宮城島僕にとっては、敷地のなかで建築を完結させる、という意識が希薄なのかもしれません。環境や人の生業、みなが考えている未来といったもののほうが、得てして建築よりもスパンが長いものですから。建築家がかかわれるのは、その長い時間のうちのわずかな一瞬で、そのときにあいまいなことをしていては、将来的に建物を受け継ぐ人にとっても、手を加える人にとっても、建築の本質が伝わらない。改修対象にすらならず、取り壊されて建築の寿命が絶たれるということにもなりかねない。だから、建築が環境の一員として参加しつづけるうえで、自分はこういう者だと、答えられたほうがよい。「主屋を変革する増築」はそんな自立性を獲得するための、今の時代ならではの手法といえるのかもしれません。

*1 連歌:短歌を上の句(五・七・五)と下の句(七・七)に分け、複数人で詠む詩歌。上下一句ずつを詠む短連歌と、多人数で上下を交互に詠む長連歌に分けられる。
*2 双堂:仏堂の形式のひとつ。仏像を安置する本堂の前に、礼拝や儀式を行うための礼堂を設ける。

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    宮城島崇人Miyagishima Takahito

    みやぎしま・たかひと/1986年北海道生まれ。2011年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。同年マドリード建築大学(ETSAM)奨学生。13年宮城島崇人建築設計事務所設立。おもな作品=「サラブレッド牧場の建築群」(16〜)、「山裾の家」(18)、「酒蔵の米倉庫」(22)など。

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    伏見 唯Fushimi Yui

    ふしみ・ゆい/編集者、建築史家。1982年東京都生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了後、新建築社、同大学大学院博士後期課程を経て、2014年伏見編集室を設立。『TOTO通信』などの編集制作を手がける。博士(工学)。