特集

2021年 夏号 個室の復権‑ コラム ‑個室をめぐる生活者の想像力/創造力

山本理奈


ひとことで「個室」といっても、それは時代ごとに変化し形成されてきた。
今、個室はどうあるべきかを建築家たちと考える一方で、ここでは「個室」という概念の本質についてあらためてとらえ返すことにしたい。
社会学のフィールドから住宅史や居住政策を研究している山本理奈さんにご寄稿いただいた。


個室とは何か。そもそも、個室とは誰のための空間なのか。
 多くの人は、自分の家族が暮らす個別の部屋のことや、子どもたちのそれぞれの顔などを、思い浮かべるのではないだろうか。一見、自明にも思えるこれらの問いに対し、やや特異なかたちで取り組み、戦後日本における住まいのあり方を問い直した建築家がいた。黒沢隆(*1)である。

黒沢隆が問う「個室」

 なぜ特異であるのか。それは黒沢が、家族という住まい手を前提とせずに、個室を基盤とする住居の可能性を検討したからである。よく知られているように、黒沢は「個室群住居」と呼ばれる都市の新たな住様式を提唱し、「ホシカワ・キュービクルズ」(*2)や「コワン・キ・ソンヌ」(*3)に代表される一連の建築、および『個室群住居――崩壊する近代家族と建築的課題』(住まいの図書館出版局)などの関連する著作を生み出してきた。
 これらの作品を貫くのは、近代住居の一般的な考え方に対する批判的なまなざしである。いい換えれば、家族と住まいを無意識のうちに結びつけ、空間を用途によって理解する思考の慣性、その自明性を問い直す視点だといえるだろう。そこでまず、黒沢が、近代住居をめぐって何を問題にし、個室の本質をどのようにとらえていたのか。これらの点を確認することにしよう。
 近代住居は、「居間(リビングルーム)+人数分の寝室(ベッドルーム)」という空間構成でとらえられることが多いが、こうした機能主義的な理解の仕方は、「寝室」とひとくくりに呼ばれる空間の質的差異を見落としていると、黒沢は指摘する。黒沢によれば、近代住居において、寝るという行為に特化した空間は「夫婦の寝室」のみであり、「子ども部屋」は単なる寝室ではないという。
なぜなら、子ども部屋は睡眠のほかにも、勉強したり、友と語りあったりとさまざまな行為が行われており、寝るという行為のみには還元できない「多機能空間」となっているからである。そのため黒沢は、近代住居の一般的なあり方は、「居間+夫婦の寝室+人数分の子ども部屋」から構成されていると指摘し、子ども部屋こそが個室の原型であると、「個室群住居」の構想へとつながる独自の見解を示している。
 ここで重要なことは、黒沢が、近代住居に対する機能主義的な思考を批判している点である。通常、近代住居では、住まい手として核家族が想定されているため、居間は家族の団らんのための空間、寝室は家族のメンバーが寝るための空間としてとらえられている。このように用途に応じて、各空間を単一の機能に還元する機能主義的な思考を、黒沢は問題視していた。
 加えて、黒沢のユニークな点は、単なる機能主義批判に終わるのではなく、近代住居のなかで、子ども部屋が、そこで行われている行為の内実と照らし合わせてみると、機能主義的な思考では説明しきれない多機能空間となっている点に着目したことである。そしてこの「多機能性」こそが、個室の本質であり、「個室群住居」という都市の新たな住様式を構想するうえで必要不可欠な要素であると、黒沢は考えていた。
 こうした機能主義批判を通して、黒沢が空間の「多機能性」という論点を提起したのは、1960年代後半のことである。この時期、それと軌を一にしながら、建築計画学者からも空間の「多機能性」という論点が、住まい方調査を通して提起されていた。そこで次に、建築計画学者が住まい方調査を通して何を発見し、なぜ多機能性という論点を提起するに至ったのか、この点を確認することにしよう。

建築計画学における「生きられる個室」の発見

 これまで建築計画学の分野では、人々の実際の居住生活を調べるために、住まい方調査が行われてきた。その先駆者として知られる西山夘三(*4)は、大阪・京都・名古屋の三大都市を中心に調査を行い、どんなに小さな住まいでも「食べるところ」と「寝るところ」を分けて生活しているという事実を発見する。そしてこれを「食寝分離」と名づけ、プラニングの基本に据える必要性を説いた。
 また西山は、住まい方調査を通して、赤ん坊が就寝中に押しつぶされたり、年頃の男女が一緒の部屋で就寝したりといった、当時の「過密就寝」や「混合就寝」という問題を発見し、その解決の必要性も指摘していた。つまり、住居の計画をする際には、食寝だけでなく就寝の分離も考えなければならないという問題意識を提起していた。
 吉武泰水(*5)研究室では、こうした西山の研究手法や問題意識を継承しつつ、戦後の庶民住宅を対象に食寝関係の実態を明らかにする調査を行っていた。その結果、西山と同様に「食寝分離」の傾向を確認したが、それだけではなく、「寝室分解」の促される程度が間取りによって異なることを発見した。そして、これらの調査結果から得られた知見に基づき、公営住宅の標準設計である「51C」(*6)というプランを作成したのであった。
 この「51C」というプランは、庶民の小住宅として考案されたものであり、12坪というきわめて限られた面積のなかで、二寝室を確保し、そのうえでいかに「食寝分離」と「就寝分離」を両立させるかという課題に対して出された解決策であった。その後、このプランは公営住宅のみならず、住宅公社や住宅協会(住宅供給公社の前身)、さらに日本住宅公団の標準設計にも受け継がれ、公共住宅の基本的な「型」として大都市を中心に全国で普及していくことになる。
 当時、公団住宅の代表的な標準設計とされていた「2DK」は、「51C」の考え方をほぼ踏襲しており、その特徴は、食事のできる少し広めの台所として「ダイニング・キッチン」(DK)を設けたこと、畳敷きの和室のあいだに壁を設け隔離したことにあった。つまり、これらの工夫により、「食寝分離」と「就寝分離」を両立させようとしたわけである。具体的には、日中のリビング的な居住生活を、DKとそれに接する畳の部屋を合わせたスペースで行い、夜間はその畳の部屋を再度使用し、ふたつの和室に分かれて就寝するという住まい方を、設計者の側は想定していた。
 しかし、鈴木成文(*7)を中心とする、1960年代に行われた公団住宅の住まい方調査から、人々の実際の居住生活は、設計者の想定とは異なることがわかった。具体的には、DKに接する畳の部屋には、ソファやテーブル、ピアノや飾り棚、テレビやステレオなどが置かれ、DKとのあいだの襖は取り払われてワンルーム化し、絨毯が敷かれて洋風居間(リビングルーム)のような空間となっていることが明らかとなった。その結果、「寝室分解」は思いのほか進まなかったという。
 ここで重要なことは、間取りには存在しなかったにもかかわらず、人々の生活実践の結果として生み出された、いわば「生きられるLDK」とでも呼ぶべき空間が、住まい方調査によって発見されたことである。2DKという限られた空間において、リビング的空間を確保することは就寝分離を犠牲にせざるをえない。つまり、人々の住まい方の実践は、分かれて寝ることよりも、リビング的空間を確保することを優先したのである。そして建築計画学者は、この新たな空間――DKとそれに接する畳の部屋をワンルーム化して生み出されたLDK的な空間――の本質を、「多機能性」の次元に見出していた。
 通常、リビングルームを中心とするLDK空間は、家族の団らんのための空間として、機能主義的に理解されることが多い。しかし西山は、住まい方調査を通して、LDK空間では、食事や団らんだけではなく、社交や娯楽など、じつにさまざまな生活実践が行われており、団らんというひとつの機能には還元できないと指摘していた。この点については、住田昌二(*8)も同様の見解を示しており、人々の「行為」を分析する限り、LDK空間は多機能空間であると指摘していた。また鈴木は、家電製品や家具の配置といった「しつらえ」を分析し、LDK空間は団らんのための空間というよりもむしろ、テレビやソファなど、三種の神器にはじまる耐久消費財をディスプレイする空間になっていると指摘していた。

生活者の視点と「多機能性」の提起

 こうした建築計画学者たちの指摘は、何を意味しているのだろうか。いい換えれば、彼らはなぜ、多機能性という論点を提起したのだろうか。それは、当時の高度経済成長を背景とする都市化や産業化といった社会の構造的な変容が、人々の生活様式を変え、住まい方を変えたことを、彼らが調査を通して気づいていたからである。つまり、都市化や産業化に媒介された大衆消費社会の到来があってはじめて、「生きられるLDK」とでも呼ぶべき多機能空間が、設計者の想定を裏切って出現したことを、彼らは問題視していたのである。
 黒沢とほぼ同じ時期に、建築計画学者が空間の「多機能性」に着目したことは、決して単なる偶然ではない。なぜなら、黒沢が子どもたちの実際の生活のありように着目したように、建築計画学者もまた、この「生きられるLDK」とでも呼ぶべき空間で行われていた、人々の具体的な生活実践に着目したからである。つまり両者は、人々の暮らしの内実を見つめていたのであり、戦後の都市を中心とする新たな社会を生きる「生活者」の視点を通して、空間をとらえようとした点において共通していたのである。

これからの「個室」へ

 現在、黒沢の提唱した「個室群住居」という住様式は、都市のワンルーム・マンションとして理解される傾向にある。しかし、黒沢が構想していたのは、あくまで空間と社会の関係であり、単なる物理的な建造物ではなかった点に留意が必要だろう。黒沢は、近代の機能主義的な用途地域制に基づく都市の住様式ではなく、複合用途と稠密を基本的な属性とする現代のメガロポリスに見合う、都市の新たな住様式を考えていたのである。
 およそ半世紀の時を経て、私たちは今も都市を中心とする消費社会を生きている。黒沢、そして建築計画学者の軌跡を通して見えてくるのは、空間を機能主義的な思考においてとらえる陥穽から抜け出し、社会との関係においてとらえるにはどうしたらいいのか、という問いかけである。ただしこの問いかけは、建築設計に携わる一部の人間だけではなく、「生活者」としての、私たち一人ひとりにも等しく開かれていることを、忘れてならないだろう。
 個室とは何か。私たちの時代の想像力/創造力が問われている。

*1:黒沢隆
くろさわ・たかし/建築家、建築評論家。1941年東京都生まれ。71年日本大学大学院博士課程修了。現代的な生活形態に応じた新しい住まいのあり方として「個室群住居」を提示した。おもな著書=『集合住宅原論の試み』(鹿島出版会)など。2014年逝去。

*2:ホシカワ・キュービクルズ
黒沢が設計した個人住宅、1977年竣工。家庭から出て社会のなかに営まれる「個人用居住単位」の最小面積を模索。共用予備室も装備した。

*3:コワン・キ・ソンヌ
黒沢が設計した集合住宅、1986年竣工。初めて分譲方式の集合住宅を設計することとなり、あらためて個人用居住単位を再考したという作品。

*4:西山夘三
にしやま・うぞう/建築学者、都市計画家。1911年大阪府生まれ。33年京都帝国大学建築学科卒業。戦後の住宅計画の主流となったDK型の誕生に大きな影響を与えた。おもな著書=『これからのすまい 住様式の話』(相模書房)、『住み方の記』(文藝春秋新社)など。94年逝去。

*5:吉武泰水
よしたけ・やすみ/建築学者。1916年大分県生まれ。39年東京帝国大学工学部建築学科卒業。集合住宅のプロトタイプ「51C型」の提唱で知られる。おもな著書=『建築計画の研究』(鹿島出版会)など。2003年逝去。

*6:51C
1951年に全国の公営住宅の標準設計として考案された平面計画。12坪という狭い空間に「食寝分離」と「就寝分離」を同時に実現させるため、二部屋の居室と、台所・食事室を別に設けた。

*7:鈴木成文
すずき・しげぶみ/建築学者。1927年東京都生まれ。50年東京大学第一工学部建築学科卒業。55年東京大学大学院修了。吉武泰水のもとで建築計画学を研究し「51C型」の公営住宅の原型を提案した。おもな著書=『五一C白書 私の建築計画学戦後史』(住まいの図書館出版局)など。2010年逝去。

*8:住田昌二
すみた・しょうじ/建築学者。1933年兵庫県生まれ。62年京都大学大学院建築学専攻博士課程単位取得退学。西山夘三のもとで住宅計画・住宅政策を研究した。おもな著書=『現代日本ハウジング史 1914〜2006』(ミネルヴァ書房)など。

  • 山本理奈氏の画像

    山本理奈Yamamoto Rina

    やまもと・りな/社会学者。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程単位取得退学。博士(学術・東京大学)。成城大学社会イノベーション学部准教授。現代社会論、都市の住生活・居住政策、女性・家族のライフスタイルの研究に取り組んでいる。主著に『マイホーム神話の生成と臨界――住宅社会学の試み』(岩波書店)がある。