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201号室は民泊としても、建物全体の応接室としても使用できるように計画した。寳神さんが座っている家具は、状況に応じてベンチにもベッドにも使える。 写真/川辺明伸

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建築家のもうひとつの仕事作品/terrace H
建築家・ディベロッパー/寳神尚史

建築家が、建築設計以外の仕事にチャレンジすることが増えてきた。その「もうひとつの仕事」が、設計のクリエイティビティを外部から刺激してくれるだろう。寳神尚史さんが設計した「terrace H」の土地と建物は、実は寳神さん自身の所有である。設計者兼オーナーだからこそできる建築とは。 再生時間/3:53

2021年 春号 建築家のもうひとつの仕事‑ CaseStudy#1‑小さなまちづくりを積み重ねる

作品/「terrace H」
建築家・ディベロッパー/寳神尚史

「施主あっての建築家、依頼あっての設計」。私たちはこの構図を疑ったことがあるだろうか。寳神尚史さんはオルタナティブな答えとして、リスクを負ってでも自らディベロッパー兼オーナーになるという新しいシステムを実践している。

正面立面。壁式だが、一見すると、ラーメン構造のようにも見える。 写真/川辺明伸
101号室。床のレベルを路地より下げ、室内を覗き込めるようにしている。 写真/川辺明伸
201号室。白とグレーのニュートラルな雰囲気に仕上げ、アーティストの展示にも使える空間に。 写真/川辺明伸
細長い2階の外部廊下。コンクリートにガラス、ステンレスの手すりという素材がシャープな印象を与えている。 写真/川辺明伸

 小田急線代々木上原駅から駒場方面へと延びていく上原仲通り商店街。昭和の頃から続くレトロな店舗が残る一方で、閉店した古い建物をリフォームした飲食店や雑貨店が混在し、駅から遠いことを逆手にとった個性的な店舗がじわじわと増えることで、往年の活気を取り戻しつつある。そこから一本横道に入った路地に「terrace H 」は立っている。近隣にはワンルームマンションや木造アパートが多く、なつかしいにおいが残る一帯に、大きなガラス面とコンクリート打放しで構成された3階建て。ここが表参道や原宿であれば、ヘアサロンとかデザイン事務所がテナントではないか、と予想がつくのだが、この立地では、外見からは何が入っているビルなのか想像がまったくつかない。そのわかりにくさこそが、この建築の新しさを端的に表している。

「terrace H」の使い方

 1階の101号室はテキスタイルをベースとした作家活動を行うアーティストが運営するアトリエギャラリーと自身の住居。102号室は設計者の寳神尚史さんの日吉坂事務所が借りているスペース。201号室は賃貸仕様の部屋になっているが、その一風変わった使い方は後に説明するとして、202号室は3階とメゾネットになった寳神さんの自宅である。こう説明すると、単なる建築家の自邸+事務所に、貸部屋をプラスしたビルのように思われるだろうが、両者のコンセプトは根本的に違う。その差を明らかにするため、まずは日吉坂事務所が2017年に設計した西荻窪の小さな複合施設「KITAYON」について説明しよう。カフェとショップにそれぞれの店主用の住居が併設されたこのビルは、寳神さん自身が土地と建物のオーナーであり、賃料から初期投資分の月々のローンを返済し、残りは事務所の収益の第二の柱となっているのである。

ディベロッパー業の最初の作品

KITAYON
撮影/阿野太一
撮影/阿野太一

西荻窪につくった小さな複合施設。敷地の奥まで路地を通し、その壁面をガラスにしたため奥にも視線が通り、思わず引き込まれる。

店舗併用住宅に魅力を感じて

 なぜ、不動産を買うリスクを負ってまで設計するのであろうか、という疑問に対して、寳神さんは「2割の自己資金を用意できて、立地を読み間違えなければ、都内でも手堅く6%程度の収益を生む物件をつくるのは難しいことではない」と言う。建築コストを抑えれば、利回りをもっと上げることも可能だが、それが目的ではなく、あくまで「良質な建築をつくり続ける」ことが優先されている。ターゲットは、個人がオーナーの店舗と住まいを一体化した住職隣接のテナントである。
「建築家は長らく、自らの職能に勝手に縛りをかけて、仕事の範疇を狭めていたところがあったと思うのです。商店の設計は建築家がすべき仕事ではない、といったように。ところが私の師匠である青木淳がルイ・ヴィトンの店舗設計を手がけるようになった頃から、そういった縛りは徐々に解けてきて、リノべーションや、建物の用途を何にするかを決める段階からアイデアをひねり出す〈提案型〉の仕事も増え、建築家の職域が明らかに広がっています」と寳神さんは言う。青木淳建築計画事務所から05年に独立し、「銀座伊東屋」など、店舗内装を数多く手がけてきた寳神さんは、いわば商空間のエキスパート。また同時に住宅も手がけており、船橋にある海藻を扱う個人商店「TAMAMO」の増築仕事をきっかけに、店舗併用住宅におもしろさを感じるようになったという。これまで手がけた西荻窪や代々木上原のほかにも、千歳船橋や松陰神社前といった街は、個人で商売を続けている魅力的な店舗が多く、次の建物をつくる候補地として注目している。
「西荻窪ではあえて床面積を減らして建物内に路地を引き込んで、店舗から通りに向けてディスプレイできるガラス面を増やしました。こうした特徴的なビルを同じ町の近隣にいくつか建てられれば、点が線になり、路地が毛細血管のように広がったおもしろい街につながっていくと思うのです」

3階。チークのフローリングなど、質感が豊かになり、家具との調和が図られている。 写真/川辺明伸
大きな開口のおかげで、階段室もとても明るい空間になっている。銀色の壁紙が階下に光を落とす。 写真/川辺明伸

新しい職種の借り主を呼び込みながら
堅実に運営するために

 仮に同じ西荻窪の敷地でディベロッパーに設計依頼されたら、寳神さんもこんな大胆なプランは実現できなかったであろう。この代々木上原のプロジェクトも同様で、経済合理性でいえば、敷地いっぱいにデザイナーズ賃貸をなるべく戸数多く建てるのが常道であろう。だが1階部分を750㎜掘り下げて天井を高くとり、通りからわずかに見下ろす不思議な床レベルの小さなアトリエギャラリー付きの住居とした。さらに201号室はあえて賃貸はせずに、ビル全体の「応接」的な役割の自由空間とし、1階ギャラリーに出品する作家が展覧会前の追い込み制作で泊まり込んだり、オープニングでお茶菓子を出したり、年間の半分ぐらいは民泊として短期貸しできるようにも設計されている。つまり、設計者自身がオーナーであることで、デザインの質の向上という次元にとどまらず、借り主や使い方を丁寧に組み合わせることで、街に新しいポテンシャルを植え付けることに成功しているのである。さらに、現在は自身で使用している102号室と202号室さえも、将来的には人に貸すことを考えているという。
 そこで気になるのは採算性。延床面積176㎡の建築費と118㎡の土地代や諸経費含め総事業費は約2億4000万円。約3割の頭金を入れたうえで、残りを35年ローンとし、月々の支払いが約50万円。それに対し、自己使用分にも家賃をしっかり支払いながら、家賃収入がローンを上回るよう気を配り、事業として黒字になるよう運営する。収益を5年ほど貯めたら次の物件の頭金にして、家賃収入益で資産を増やす仕組みだ。

202号室の玄関。仕上げをレンガにして、ややプライベートな空間であることをさりげなく表現。 写真/川辺明伸
202号室はメゾネット。2階部分には寝室、トイレ、浴室がおさめられている。 写真/川辺明伸

すべては設計を続け建物とかかわり続けたいから

「建築家は傍目にははなやかな職業にみえるのかもしれませんが、受注がなければ収入は途絶えるわけで、テレビでよく密着取材されている青森県の大間のマグロ釣り漁船と基本的には同じ。不安定な職業ですよ」と寳神さんは笑う。大物を釣り上げれば安泰だが、“坊主”なら食べていけない。その不安感から、独立して6、7年後には、副業か何かをして収入を安定させなければと感じるようになったという。どうせなら、自分が最も得意とする建築設計を使って景気の浮沈を均そうと考えた結果が、建物のオーナーになるという選択だったわけだが、それだけが理由ではなく、やはり自分で設計した建物を長く手元に置きたいというシンプルな願望も強かったという。
「イベントをしたり、コトを起こしたりすることで建築家が街に寄与するやり方もありますが、私の場合は結局のところモノづくりを徹底したいんですね。竣工してハイ終わりではなくて、ずっとその建物とかかわっていたい。そういえば青木さんは、京都市京セラ美術館のリニューアルを手がけるうちに関係がどんどん深くなって、ついに館長に就任されました。規模は小さいですけれど、私も師匠と似たようなことをしていますね」と寳神さん。
 丸の内一帯のオフィスビルをもつ三菱地所や、港区に多数の不動産を所有する森ビルなどの巨大ディベロッパーは、数十年先を見据えて街並みのデザインに影響を与えることができる。一方で寳神さんの、小さな不動産物件を少しずつ所有していく「マイクロ・ディベロッパー」的な仕事も、街の個性を静かに変えていく可能性を感じる。

壁の色彩に加え、反射率も加味しながら、空間の光量をコントロールしている。 写真/川辺明伸
コンクリート洗い出しの仕上げは、ファサードのアクセントになっている。 写真/川辺明伸
細長い敷地に路地を通し、建物の奥へと人を引き込むプランニングは、西荻窪「KITAYON」にも通じる。 写真/川辺明伸
奥まった立地に、今後新たな訪問客を呼び込んでくれるだろう。 写真/川辺明伸
  • 寳神尚史氏の画像

    寳神尚史Houjin Hisashi

    ほうじん・ひさし/1975年神奈川県生まれ。97年明治大学理工学部建築学科卒業。99年明治大学大学院理工学研究科建築学専攻修了。99〜2005年青木淳建築計画事務所勤務。05年日吉坂事務所設立。おもな作品=「CAPTAINS’ TOKYO」(11)、「house I」(12)、「GINZA ITOYA」(15)、「KITAYON」(17)。