特集

1階のLDKから南側の庭を見る。手前のシャクナゲやナギなどは庭木。奥の樹木は隣地の借景。写真/Yuna Yagi

2019年 夏号 借景‑ CaseStudy#3‑庭の木と、隣地の木の融合

作品/「Todoroki House in Valley」
設計/田根 剛

まるでジャングルの中に建てられたような都市住宅。
奥行き2mしかない庭は、隣家の木々と融合している。
リビング・ダイニングからは世界各地の樹種が見渡せるようになった。

北東側から見た外観。右手の等々力渓谷公園沿いに立っている。左手の緑は庭木。写真/Yuna Yagi

「Todoroki House in Valley 」。窓いっぱいの緑。作品名と写真から、等々力渓谷の森を想像した人は、すでに建築家の術中にある。
 確かに、地形的にみればこの家は渓谷の中腹に位置している。しかし、森の中ではない。昭和期に開発された分譲地の私道の先。敷地の広さも50坪ほどで、外壁から敷地境界線までは2mもない。家が西側にやや寄っているが、これも大通りが近い証拠。敷地に入り込む防火地区をぎりぎり避けた結果だ。都心部にあって、決して稀有な敷地ではないのに、まるで森の中にいるように見える
 設計を手がけたのは、パリに事務所を構える建築家・田根剛さん。建主は著名な造園家である。当然庭は建主が手がけた。彼らはいったいどんな術を用いたのか。

設計のテーマは「湿潤」と「乾燥」

 田根さんは自らの設計手法を「考古学的リサーチ」と呼ぶ。普通、等々力渓谷で家を設計するなら、その渓谷について調べる。しかし田根さんは、そこで得たキーワードをあらゆる時代、場所へと広げて調査する。今回のキーワードは「dry」と「wet」。自然とは酷なもので、宅地開発しようが、地面は渓谷のそばでジメジメしている。しかし、上空にはいつも風が吹き、ざわざわと木々を揺らす。地面が「wet」で、上空が「dry」だ。このキーワードから、世界中の湿潤な地域、乾燥した地域の原始的な民家や集落などを調査し、それを再びこの地で合流させた。この家の下部が幾何学的で開放的な姿をしていること、上部が有機的でぽつぽつと窓をあける閉鎖的な姿をしていることは、この手法に由来する。

1階のガラス張りのボリュームの上に、2~3階の木製サイディングのボリュームがのっているような構成。写真/Yuna Yagi
1階のLDKを庭から見る。床レベルが庭より1,000㎜ほど下げられ、地中に埋まっている。写真/Yuna Yagi

大きな世界へと意識が広がる

 部屋の配置をみると、1階はリビング・ダイニングで、北側に書斎、その上の中2階に玄関がある。これが「wet」の下部。「dry」の上部は2階が寝室と浴室、3階が子ども室(寝室2)。北側斜線の影響で浴室の上は屋上に、子ども室の屋根も段々になっている。
 上部のボリュームは、下部のコの字の壁が9割以上の荷重を負担している。構造は木造だが、一部鉄骨を用いて補強し、南側にある2枚の壁柱は、ほぼ水平力を負担するだけの存在である。この構造が、下部の大開口を生み出している。平面図を見てほしい(Todoroki House in Valley/平面図)。南側2枚の壁柱はやや斜めに配置されている。これは、大開口の連続性、室内外の連続性をじゃましないようにした工夫である。
 田根さんは、「1階は、土地そのものを身近に感じられるよう、1mほど床を下げました。地面が近くなり、風に揺れる植物や、そこで暮らす虫たちの様子がよく見えます。緑を背景に黄色や白の蝶が飛び、窓いっぱいに道を描いていく光景はすてきですよ。立地上、渓谷は望めませんが、その存在は強く感じられます」と話す。3階の窓からは渓谷の緑、その先に都心の高層ビル、もっと先には富士山も見える。そして空。どの方角にも窓があるため、眺望に加えて通風も申し分ない。渓谷の存在を感じつつ、上の階へ上がるほど、より大きな世界へと意識が広がっていくようだ。

西側外観。窓からはジャングルの中に住んでいるように見えるが、実際は住宅街の一画に立つ。写真/Yuna Yagi
2階。窓からは庭の木々が見える。まるで森の中で眠るような感覚になる寝室。写真/Yuna Yagi
3階。窓からは木の天辺と空が見える。樹木の上から見たような風景が広がる。写真/Yuna Yagi

隣家の木々を取り込む庭

 富士山が見えることから、庭の東側には富士山の溶岩が置かれている。その付近には、シダなど湿潤な場所に生える植物。そして西へ行くほど、乾燥した場所に生える植物が植えられている。「お施主さんも設計のコンセプトをおもしろがってくれました。朝日が射す東側は湿潤な状態になり、西側は強い夕日を受けて乾燥した状態になります」と田根さんは説明する。建築は上下、庭は東西で、「dry」と「wet」のコンセプトが展開しているのだ。
 とはいえ、外壁から敷地境界線までの庭のスペースは2mもないというのに、この緑の奥行きはどういうことか。「じつは、見えている緑の半分は敷地外のものなんです。周囲の民家は思い思いの木を植えていて、ヤシの木も見られます。お施主さんは50種類以上の植物を駆使して、敷地内外の緑の一体化を図りました」。驚くべき借景の術である。

借景を生かすディテール

 こうして奥行きのある緑が、リビングに飛び込んでくる。それを強調しているのは、オイルステインの木部をベースに整えられた、落ち着いた室内の色彩・素材である。鉄部も濃く茶系でまとめた。壁は地面を掘って出た土を使って左官仕上げに。なるほど、庭の土や緑とマッチしないはずがない。
 唯一明るいのは焼成石の床。焼き加減は3度調整した。「昼もいいですが、本当にいいのは夜です。床などに月の光が射し込み、木々のざわめきとともに、その影がゆらぎます。夜の木漏れ日ですね」。建主は田根さんにそう語っているそうだ。
 田根さんは、色彩や素材へのこだわりを次のように話す。「私は、空間ではなく場所をつくりたいと考えています。空間というものは、材料がなんであれ、寸法やスケールを根拠にどこでも生まれます。しかし、場所には質感が必要です。近代建築は世界中どこでも同じ空間をつくろうとしました。これからは、土地を強く意識しながら、そこにしかない場所を目指すべきだと考えています」と。
 確かに、近代の建築家たちは建物と地面を切り離そうとした。たとえば吉村順三の「軽井沢の山荘」(1962)。地面の湿気を避けて、木造の居室をコンクリートで持ち上げている。言ってみれば下が「dry」で上が「wet」だ。
 一方で、この家は逆だ。地面は湿気が多いから、湿気の多い地域から学ぼう。上空は風がつねに吹く場所だから乾燥した地域から学ぼう。それをひとつにまとめあげた術が、等々力渓谷の豊かな自然を私たちに想像させたのだから、広義の借景にちがいない。
「人間は、その風土と一体になって、よりよく生きるために、力の限り、自由に、感じ、考え、行動する」。吉村と東京藝術大学の同僚だった山本学治が、和辻哲郎の『風土』を解説してこんな一文を記していた。私たちは、風土ということを忘れていないか。世界中から知恵を借りられる現代であればこそ、よりその土地らしい住まいが創造できるのだ。そんなことを、この作品は語りかけているように思う。

南東側から見た夕景。写真/Yuna Yagi
  • 田根 剛氏の画像

    田根 剛Tane Tsuyoshi

    たね・つよし/1979年東京都生まれ。Atelier TsuyoshiTane Architectsを設立、フランス・パリを拠点に活動。おもな作品に『新国立競技場・古墳スタジアム(案)』(2012)、『LIGHT is TIME』(14)、『エストニア国立博物館』(16)、『(仮称)弘前市芸術文化施設』(2017-)など。フランス文化庁新進建築家賞、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞、ミース・ファン・デル・ローエ欧州賞2017ノミネート、アーキテクト・オブ・ザ・イヤー2019など受賞多数。2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。