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玄関から通り土間を見通す。町家らしく火袋(トップライト)から光を取り入れている。左手には居間や玄関の間。通り土間に立っているのは𩵋谷さん。写真/傍島利浩

2019年 春号 客を招く間取り‑ CaseStudy#3‑個人のスペースをしぼり、
来客のために町家を開放

作品/「新釜座町の町家」
設計/𩵋谷繁礼

もともと町家は、人を招くことが多い建築だった。その町家の性質を引き継いで、現代らしい接客のあり方を追求。プライベートな個室を2階に集約させることで、1階の通り土間や客間、そしてLDKもまた、多様な接客のためのスペースとなった。

通り土間から入口側を見通す。通り土間には沓脱ぎ石が置かれ、右手の玄関の間とつながっている。写真/傍島利浩

京都で古いエリアの町家で暮らしたい

「新釜座町(しんかまんざちょう)の町家」は、京都市下京区、四条烏丸を西に入り南に下がった路地に面して立つ。
 京都は、平安時代に築かれた120m(40丈)角の街区を、豊臣秀吉が半分に割って南北に道を通したことで、南北120m×東西60mという現在のおもな都市基盤が形成されている。ところが四条烏丸周辺には、南北に割られていない120m角のままの街区が存在する。そこは応仁の乱の後にいち早く復興して人が居住し、秀吉が街区を割る必要のなかった地域であった。つまりこの敷地周辺は、京都のなかでも最も古くから栄えていたエリアのひとつなのである。祇園祭がこの地域を中心に催されていることはそれを裏づける。
 この町家が面する路地が四条通から下がって鉤の手に折れながら南に抜けているのは、この路地が秀吉以前に自然発生的に生まれたからであった。今日では2項道路だが、地域の方々の努力で、昔ながらの町家の落ち着いたたたずまいがかろうじて残されている。
 その土地を選んだ建主は、イギリス人の夫と日本人の妻の夫婦である。ロンドン在住だが、かつて京都の町家に住んでいた経験のある夫は、将来は京都にも拠点をもちたいという願望をもちつづけていた。そして知人の紹介でたまたま2軒の町家が並んで空家になっていたこの土地を入手し、裏の家から蔵付きの土地も譲り受けた。
 もともと設計者の𩵋谷繁礼さんとは面識がなかったが、やはり知人の紹介で出会っている。土地も人も信用のおける人物を介してというところが京都らしい。土地や建物は個人資産であるだけでなく、都市の資産でもあるという認識が働いているからであろう。
 当初は、春秋の気候のいい時期に来日するくらいのつもりだったが、祇園祭の夏や冬の京都も気に入って、現在では一年の半分くらいをこちらで過ごすという。彼らは、京都の町家で静かに暮らしたい、ときどき友人を招いて楽しく過ごしたい、と要望した。

新釜座町という京都の古い街並みの一画に立っている。左手前が「新釜座町の町家」。写真/傍島利浩
厨房・食堂から、居間や中庭を見る。住人のためだけではなく、親しい友人も招く居間。写真/傍島利浩
客間1から、縁側、庭、その奥の離れの客間2、浴室を見る。床の間のある典型的な座敷。写真/傍島利浩

2軒の町家を1軒に再構成した

京都の町家には、業態の違いによっていくつかの形式があるという。商家では前面に店を配して奥に座敷を設ける。西陣などの工場では奥に土間を設けて工具を配する。お茶屋はほとんどすべてが座敷である。いずれも働く場を内包するため、人を招き入れる形式となっている。さて、「新釜座町の町家」は、そうした町家の形式をどのように解釈したのか。
 まず、2軒の町家を1軒にしたことで間口が10mほどとなった。南側の通り土間を残し、前面道路側に間口8565㎜、奥行き4925㎜の板の間を設けた。ここがLDKで床暖房を備えている。アイランドキッチンとソファに加え、通り土間の脇には天板に昇降装置を付けた掘り炬燵(ごたつ)を配している。板の間の奥に6畳の玄関の間と坪庭、その奥に6畳の二間続きの座敷(相の間と客間1)を配置し、3つの和室と坪庭で田の字型を形成する。北側に廊下を設け、回遊できるようにしている。こうした平面構成は近代以降の民家にしばしば見られるもので、部屋を通過動線にしない配慮である。客間1の東側は既存部分を一部撤去して広い庭をとり、そこに離れ(客間2)と浴室を設けている。
 2軒をひとつにしたことで、部屋を奥行き方向に一列に連続させるだけでなく、2列で連続させられるようになった。そこで𩵋谷さんは、坪庭をあけたり庭を広げて離れを置いたりと、京間のモジュールを生かしてパズルのように空間の粗密をつくり出した。明るい空間と暗い空間の繰り返しや、最奥部に一番明るい庭があるといった、これまでの町家の奥行きを基本とした空間構成を相対化している。そしてこの粗密は、奥性がつくり出すプライバシーによるヒエラルキーをも解体している。

玄関の間。左手に居間、右手に客間1と相の間。状況に合わせて、客を招く部屋を使い分ける。写真/傍島利浩
離れの客間2に付属した浴室。地窓越しに庭を見ながら檜風呂に入ることができる。写真/傍島利浩
離れの客間2。四畳半。曲り柱、下地窓、掛込天井など、草庵茶室風の造りになっている。写真/傍島利浩
客間2や客用の浴室に至る外廊下には、腰掛けられる待合が設けられている。草庵茶室風。写真/傍島利浩

2階を個人の場にすることで、
1階を来客に開かれたスペースに

 この住宅では、母屋の2階と奥の蔵がそれぞれ妻と夫の個人の場にあてられている。坪庭の北側に置かれた箱階段で上がった2階は妻のプライベートスペースで、トイレ、シャワー室、化粧室、寝室が完備されている。1階のフロアレベルより1350㎜上がった南東の蔵は夫のプライベートスペースである。1階にトレーニングジムと浴槽とトイレ、2階に書斎と寝室がある。蔵だけ床レベルが異なるのは、反対側の町家から譲り受けたことによる。
 パブリックな1階とプライベートな2階というすみ分けが設計された。シェアハウスに近いように見えるが、パブリックスペースとは別に、「機能的に完結した個室」がふたつ挿入された構成だから、シェアするものの質がまったく違う。
 この構成を踏まえ、一般的な現代の住宅と「新釜座町の町家」の違いを空間図式で比較してみたい。前者では、玄関を入った瞬間から家族だけの空間が広がり、家族以外の人間と空間をシェアすることは難しい。それは来客が基本的に想定されていない空間構成だからである。外側に強い殻をもち、内部は家族という特定の人間たちだけの空間で、来客は非日常である。
一方、後者では、板の間や座敷といったマルチパーパスな空間が広がる代わりに、個人のための完結した空間が別途用意されている。外側をゆるい殻とし、その内部に個人のための強い殻が点在する。
 つまり、外側の固い殻に守られた家族のためだけの家と、来客に開かれたゆるい殻の中に個人のための固い殻を有する家、との違いである。

敷地の南側にある蔵は、ご主人のプライベートなスペース。2階には書斎を兼ねた寝室がある。写真/傍島利浩
蔵の1階は、身体を鍛えるジムのスペース。陶器風呂、シャワー室、トイレも付属している。写真/傍島利浩
2階の寝室。桜の花びらの草木染めをした和紙を、壁や天井、障子に貼っている。写真/傍島利浩
主屋の2階は、奥さまのプライベートなスペースになっている。寝室前のラウンジのようなスペース。写真/傍島利浩

人を招く行為を通じて家族の空間を再考する

 家族のための空間を、来客のための空間に転換したこと、それがこの住宅のなしえたことだった。
言い換えれば、「新釜座町の町家」とは、家族のための空間というものを事実上なくし、完全な個人の空間を個別に用意することで成り立っている住宅なのである。
 この空間構成は、客間と茶の間を並べた近代民家とも、家族のための殻となった現代住宅とも異なった、これからの住まいへの問題提起なのではないか。
 そもそも近代家族とはなんなのか。生物学的定義以外に一緒に暮らす理由とはなんなのか。家族と個人とはどういう関係にあるべきものなのか、そこにおける個人の尊厳とはどのように空間化されるべきものなのか。そもそも人が人とともに暮らすとはどういうことなのか。ほとんどの人たちが疑いをもたないままにゆらいでいる日本の現代社会における個人と家族と住宅に対する根源的な問題を、人を招くという行為を通して、この住宅は浮き彫りにしてくれている。

  • 𩵋谷繁礼氏の画像

    𩵋谷繁礼Uoya Shigenori

    うおや・しげのり/1977年生まれ。兵庫県出身。2001年京都大学工学部卒業。03年同大学大学院工学研究科修士課程修了。現在、𩵋谷繁礼建築研究所代表。おもな作品=「京都型住宅モデル」(07)、「京だんらん 東福寺」(11)、「もやし町家」(15)。