特集

2018年 夏号 移築のすすめ‑ CaseStudy#3‑時の厚みを感じる、モノの集まり

作品/「筑西の住宅」
設計/伊藤 暁

生家の敷地内にあった古い蔵を解体し、新しい材料と組み合わせて再構築した住宅。蔵の建設年代は不明で、傑出した価値があるわけではないが、時間が堆積した記憶の厚みが、 唯一無二の家族の器を生み出している。

「雑」という字にポジティブな意味が与えられることは少ない。
 雑然、雑念、雑魚、雑音、雑種、雑巾……。そこでの「雑」は、まとまりがない、つまらない、くだらない、ささいである、価値が低いなど、疑いもなくネガティブな意味でしかない。
 では、雑踏、雑貨、雑煮の「雑」はどうかといえば、ポジティブに解釈することも可能であろう。多様なものが、単一の価値観によって排除されることなく、同じ場所に寄せ集まる。その錯雑が包容を、その猥雑が活気を、その複雑が別次元の価値を生み出していく。そのように考えれば、「雑」は必ずしもネガティブではない。
 かつて筆者は、名古屋郊外の雑木林のなかに埋め込まれるように建てられた福祉施設を評するにあたってこのように書いたが(*)、冷気残る3月初旬に「筑西の住宅」を訪れた際も、家の内外にポジティブな「雑」の力が満ち満ちているのを感じた。

蔵の部材の再利用が与条件だった

 建主の間々田(ままだ)さんは、大学の建築学科を卒業し、会社勤めを経て生家に戻り、曽祖父が創業した鉄を扱う問屋を4代目として継いだ。生家近くに夫婦と長男、3人家族のための自宅を新築するにあたり、大学の後輩の建築家・伊藤暁さんに設計を依頼したが、前提として生家の敷地内の蔵を解体し、その部材をできるだけ再利用することを条件とした。それ以外にも、収集、貯蔵していたさまざまなものや家具のなかから選択して再利用、再配置することを望んだ。それはたとえば祖父の時代までに扱っていた鉄製品であり、寺の客殿の建具であり、蔵にしまわれていた長持であり、夫人の実家にあった型板ガラスなどである。伊藤さんが採寸し、画像に納めた点数は100を上まわったという。
 この地に生まれ育ち、事業を継承した建主にとって、自らの住まいを、過去との関係性を断絶してしまわず、過去から現在へ、さらに未来へと進む流れのなかに位置付けたいという想いを強くもったのは自然なことだ。もしその想いが古いものへのかたくなな愛着だったり、茫洋としたノスタルジックな気分から発したものだったら、おそらく設計者が介在する余地はなかっただろう。しかし建主は、今の時代に毎日を快適に暮らしていくための拠点としての住まいを望んでいたし、それに応ずる設計者の視線も過去を振り返るのではなく、過去を基点にしつつあくまで前に向かおうとするものだった。こうした共通の志向が両者にあったからこそ、ツー・バイ・フォーのプレハブ住宅に比しておそらくは3割増し程度の費用がかかることを引き受けながら、また時間と手間をたっぷりかけながら、幸せな協働がなしえたにちがいない。

そこかしこに鉄の素材がある

 一面の畑地。筑波山の双峰が南東方向、近くに望める。屋敷林に囲われた農家、高くそびえるケヤキの木立、小さな社が点在する一方、プレハブ住宅が並び立ち、小規模な太陽光発電パネルがそこここに設置されている。新旧が混在するとりとめのない風景。そのなかに「筑西の住宅」は違和感なく、溶け込んでいる。
 南、西、北の3方向からの外観は格別に突出したところがなく、注意しても見過ごしてしまいそうだ。それが一転、道に沿う東側にまわると、ファサード一面、巨大な11枚の鉄板が待ち構えていて、その重量感と質感に圧倒される。これは道路側からの視線をさえぎるための水平ルーバーで、上方ほど取り付け角度がゆるくなっている。
 それにしてもほかの要素とのスケール感の格差は歴然としていて、笑えるほどに豪快だ。設計者のこの提案に建主夫人は首をかしげたが、鉄を商う建主はこれしかないと即座に賛意を表し、ためらわず自作に踏みきったという。そういえば、郵便受けの付いた門柱、カウンターの支持台、吹抜けまわりの手すり、入口扉の把手など、そこかしこに建主自作、あるいは持ち込みの鉄の部材がある。きわめつけは蔵の外壁に使われていた乱張りでコールタール塗りされていたトタン板を利用した玄関戸袋で、ハイセンスな抽象絵画の趣がある。このほか、外壁のガルバリウム鋼板、現しの丸鋼ブレース、鉄板の薪ストーブなどを含め、鉄という素材が家の中に静かに通奏低音を鳴り響かせている。

新旧が混ざる融通無碍

 元の蔵の建設年代は不明だが、半分が和小屋、半分が登り梁であることから、年代も用途も定かでないふたつの建物を合体したものであることはまちがいない。おそらく、ふたつの建物から使えそうな部材を選択し、寄せ集め、勾配を揃え、再構築したのだろう。
 小屋組は解体後、いったん仮組して微調整し、そのまま使用している。和小屋と登り梁の異種合体のさまはちぐはぐ、珍妙ともいえるが、不思議と違和感はない。由緒は知れぬが古色を帯びた部材が、新たな居場所を得て泰然としているからだろう。
 一方、柱はといえば、元の蔵は大谷石を3段に積んだ土台の上に柱を立て、2階の天井は低くて屋根裏のような空間だったので、階高を高くして居住性を確保するために、3×7間の平面、本数、位置は元の状態を踏襲しつつ、すべての柱を新しい材に置き換えている。これらの点からすると「筑西の住宅」は移築というよりは材の転用の範疇に含んだほうがよいのだろう。
 それにしても、なんという自由自在、融通無碍。木材だからこその冗長性の賜物だ。このような、部位に応じて新旧の部材を適材適所に用いる方法はこれからも広がっていくのでは、という問いに、設計者の伊藤さんは顔を曇らせた。今回のケースは70歳を超える棟梁が40代の弟子ひとりを連れ、久しぶりで腕が振るえると勇んで取り組んだ稀な成果であって、そうした能力と意欲をもった大工は全国どこでも消滅の危機にあって久しく、今後の展望は明るくないという。

「雑」の集合のポジティブな力

 室内では何よりも内土間の存在が際立っている。薪ストーブが真ん中に置かれたこの空間は、軒庇下の外部空間と古材の雪見障子で囲われた奥の内部空間(冬の居間)との緩衝を形成して居住性を高めるとともに(冷房はなく暖房は薪ストーブと石油ストーブの2台のみ!)、蔵の床材を転用した縁側状の板張りは集い、接客、農作業時の休憩など、多様な使われ方がなされる場所として、正しくこの家の核となっている。
 ゆっくりとあたりを見渡せば、あらゆるモノのあいだに確たる秩序もなければ、画然とした境もない。古材かと思えば新しく、その逆もある。板の間と畳が不思議な同居を示しているかと思えば、巨大な鉄板と繊細な簾が隣接している。古色あふれる階段とアルミサッシが向きあい、ミニマルなLEDダウンライトと和風の様式的な吊り照明が並び、ステンレスの薄いカウンタートップと切り倒されたケヤキの極厚のカウンターが近接している。鬼瓦、蹄鉄、火消壺などおびただしい古いモノとカヤック、ウクレレ、プラスチック玩具、マンガ、小説、地球暦などの無数の新しいモノが混在し、並置されている。
 それらを個別にみると、前述の小屋組を含め、傑出した価値はどこにも見出せない。いわば平凡な「雑」の集合に見える。けれどもそれらのすべてに家族の成員が関係する時間が堆積し、記憶の厚みがまとわりついていることを理解すると、「雑」の集合のポジティブな力はたちまち露わになり、そこでしかありえない強い固有性とどれひとつ欠かせない希少性を帯び、家中に確かな、喜びにあふれた鼓動が生まれているのを実感する。
「筑西の住宅」の意義はそこにあり、肩ひじ張らずに生活を楽しみつくそうとする建主一家と、徳島の山間部での木造改修(「えんがわオフィス」など)の経験を生かして難題に正面から向きあった建築家による、すぐれて稀有な協働の挑戦の証といえる。

*「愛知たいようの杜」(設計:中村勉)についての評論(『AXIS』109号)。

  • 伊藤 暁氏の画像

    伊藤 暁Ito Satoru

    いとう・さとる/1976年東京都生まれ。2000年横浜国立大学工学部建設学科卒業。02年同大学大学院修士課程修了。02~06年aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所。07年伊藤暁建築設計事務所設立。10年BUS参加。17年東洋大学准教授。おもな作品=「半丈の書架」(13)、「えんがわオフィス」(13、須磨一清+坂東幸輔と共同設計)、「武蔵境の住宅」(16)。