イベントレポート
可能性をつくる
レポーター=林憲吾
2007年7月11日、東京ウィメンズプラザ(青山ブックセンター主催)で『安藤忠雄の建築1』(TOTO出版)刊行記念講演会「可能性をつくる」が開催された。
安藤忠雄は、言わずとしれた闘争の建築家だ。
そのことは、いくつかの本のタイトルにだって表れている。もっと言うと、講演開始直前に映し出された、1万人以上もの観客が集まった台北での講演会の映像で、壇上に向かって歩く安藤のバックで流れていたのは、まぎれもなく「ロッキーのテーマ」だった(勿論これには安藤がボクサーであったことも関係してるだろう)。
一方、今回の講演は、作品集『安藤忠雄の建築1Houses & Housing』の刊行に併せたもので、雨天であったにも関わらずこちらの方も会場は満席状態だった。そこで改めてこの本のタイトルに注目すると、やっぱりここにも闘争の人・安藤が、たっぷりと詰め込まれていることを予見するのである。なぜなら、それは「住宅」を標榜しているのだから。
本人も自ら指摘するように、安藤にとって住宅は活動の原点であり、デビューする70年代は、多くの建築家がその革新的な作品を住宅によって打ち出していた時期でもあった。そんな中から、日本そして世界を代表する建築家へと昇りつめていったのだから、安藤にとって住宅は意義深い。その原点から現在までの軌跡を、講演会では僕たちに届けてくれた。
何よりもまず安藤を日本の建築界で特異な存在にしているのは、やはり独学で建築家の道へと踏み込んだことだろう。その安藤にとって最も大切な学びの場だった若き日の世界旅行での体験を初めに語ってくれた。1965年のこの旅ではじめて水平線と地平線を肉眼で知り、「地球はひとつ」を確信したのだという。さらに建築でも西洋と日本との距離は吹っ飛んだ。パルテノン神殿を見た時、その良さがよくわからんかったと、ユーモアたっぷりに語る背後には、西洋を相対化し、ひとつの地球の上で「建築とは何か」を考えていこうとする姿勢が表れていたように思う。
実質的デビュー作である「住吉の長屋」については、安藤自身の住まうことへの強い意思を反映させたものだが、一方でその安藤に呼応してくれた施主の存在が大きかったことも語った。
その「住吉の長屋」と並んで、「六甲の集合住宅」が大きく取り扱われた。この作品は、斜面に人を魅了する集合住宅をつくりあげたいという安藤の強い意思によって、敷地は後方の斜面へと変更され、実現に向かったという。そしてより重要なのは、斜面への発想からスタートしたこのプロジェクトが、Ⅰ期からⅣ期へと30年近い歳月をかけて今なお継続的に進展していることだ。この中でもⅢ期が注目される。この計画は、本来何のオファーもなく、いわば安藤が勝手にプロポーザルしたものだった。当然、最初は一笑に付されたが、安藤の情熱とそれをやり遂げんとする気力によって、最終的には実現に至ったという。
ところで、講演内容からは若干話がそれてしまうが、実は僕はこの六甲に見られる安藤忠雄の姿勢に多大な影響を受けていた。と、こんな告白めいたことを唐突に切り出したのにも、もちろん訳がある。それは高校の時、美術の授業で僕は安藤の大阪・中之島でのプロジェクトに関するテレビか何かの特集を見た。そこには保存問題が取り沙汰されていた公会堂に対して、卵形のホールを挿入してリノベーションを図る案を提出する安藤の姿があった。そしてそれは、六甲同様、何のオファーもなく実行していたものだったのである。さらにより印象的だったのは、その計画案に対して市民や行政が評価もせず、ほとんど無関心に映ったことで、安藤の情熱との間にある「温度差」だった。僕はその「温度差」がつまらなくもあり、一方の情熱を生む建築を面白く感じ、それを転機に建築への道を選択した。つまり、僕にとっての分岐点に安藤忠雄の姿があったのだから、六甲の話は感慨も一入だった。
このように建築を介した安藤の闘争は、住宅だけではもちろんなく、リノベーションをはじめ多岐にわたって展開してきた。講演の後半に語った、瀬戸内の島を文化拠点とする「直島プロジェクト」しかり、中坊公平と協力して行っている「オリーブ基金」しかり、石原都知事と行う「海上の森」しかりである。そこには、どんなものでもやり遂げんとする安藤の創作への強い意思があり、彼が再三再四口にした「情熱」がある。
さらに、これら安藤の活動を支えてきたのは、多くの人々との協働だろう。「小篠邸」を紹介するくだりで安藤は、この建築が多くの海外建築家にある種の「日本」を伝え、評価されたと述べた。それは、パルテノンにおののかなかった安藤だから示し得た、伝統や和風とは一目置いた日本であり、「批判的地域主義」と言われるものであった。そして安藤も言うように、その評価を可能にしたひとつは、コンクリートを見事に美しく打つ施工者たちとの協働であった。
施主、職人、地域の人、芸術家、行政にたずさわる人など、多くの人々とのつながりは、安藤の宝だろう。そして、その宝の山を掘り当てることができるのは、講演中何度となく笑わせてくれる彼のユーモアではなかろうか。「安藤さん大丈夫ですか?」「いやぁ、それはわからん」といった関西弁のゆさぶりは、彼らを安藤の懐に引き込んでしまうのだろう。
地球上の人々との協働を生む対話、それを生み出す闘争の緊張とユーモアの弛緩。言わずとしれた安藤忠雄の特質を、改めて体感した講演会だった。
林憲吾 Kengo Hayashi
1980年生まれ
2003年
京都大学工学部建築学科卒業
2005年
東京大学工学系研究科建築学専攻修士課程修了
現在
東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程