イベントレポート
TSUTOMU KUROKAWA
レポーター=渡部千春
何かが足りていない。
完成度が低いということなのか……?
『TSUTOMU KUROKAWA 黒川勉のデザイン』刊行に合わせたギャラリー・間での展示を見て、ふとそう思ったのは、後で大きな間違いであることに気が付くのだが、まずはその前に黒川勉について書こう。
2005年7月、43歳の若さで急逝したインテリア/プロダクトデザイナーの黒川勉は、(書籍掲載のリストによれば)10年ほどの間に約150ものショップデザインを手がけたインテリア業界のスター的存在であり、また90年代後半から始まった日本のデザインブーム(ブームという言葉は軽薄なきらいがあるが、業界だけでなく一般層に認知が広がったこの現象はブームと呼ばざるを得ない)のパイオニアだった。インテリアデザイナーがエキシビションをすることが珍しかった97年から、当時、片山正通と組んでいたH. Design Associatesとして家具の展示を始めた。その後、2000年にOUT.DeSIGNを開設し、2002年までデザインイベント『HAPPENING』、『TOKYO DESIGNERS BLOCK』、ミラノやパリの家具見本市に参加。イベント参加者が増えていく中でも突出した作品の斬新さを見せていた。人望も厚かった。黒川勉がいなくなってしまった後の喪失感は大きかった。
そんな穴を埋めるべく編まれた『TSUTOMU KUROKAWA 黒川勉のデザイン』は、92年からの黒川勉の足跡を記録したものである。企画は秋田寛(グラフィックデザイナー)、安東孝一(プロデューサー)、片山正通(インテリアデザイナー)、川上典李子(デザインジャーナリスト)、黒川知美(オー・ディー代表)、鈴木里子(編集者)、高山幸三(カメラマン)、村山和裕(翻訳家)らによる実行委員会。黒川勉を知る人々だけに、彼の仕事をまとめていくのは、容易なことではなかっただろう(http://www.outdesign.com/news/blog/ で、その奮闘ぶりが垣間見れる)。とはいえ、黒川勉不在で、これほど丁寧に上滑りでないデザインの本を作るには、やはり彼を知るこのメンバー以外には考えられない。
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あらためて、先に書いた私の「完成度」の誤解に戻そう。片山正通が会場構成を担当した展示スペースは、入ってみると意外に、がらん、と隙間を感じさせるような場所になっていた。その中に、使った痕跡のある椅子が並ぶ。中央の展示台は一面に鏡を貼っているため、座面の裏も、天井までも映しこむ。黒川勉が好んで使っていたアクリル素材は、透明では傷が目立ってしまうのだが、それを隠そうともせず、中庭の日の光にさらすように宙づりにされている。
いいのだろうか? と思いつつ中庭から、室内のスペースに目を移すと、がらんとしていた展示のどこか不安定な、未完成な感じが消えていた。そこに来場者がいた。人が空間の中に入る、椅子を見る、触る、なでる、座る、照明器具の光の透過を受ける、その人が動きながら影を作る。おそらく、中にいたその人も私がいなければぽかんと空いていた中庭の、椅子の傷を見つめたり、テーブルの表面をなでたりしている私の様子を見ていたのではないだろうか。
人がいることで展示されているプロダクトも空間そのものも、機能し始める。
思えば、それが黒川勉の仕事の最大の魅力だろう。人を受け入れる家具や空間。それゆえに、人がいない状態で「完成」してはならない。黒川勉は鑑賞するだけのアートではなく、機能を果たすためのデザインを作っていた。だからこそ人に愛されたのだ。長年仕事を共にした片山正通はそれを熟知していたのだろう。
次は何をやってくれるのだろうという楽しみはなくなってしまったが、黒川勉が作った家具や空間はこれからも人を受け入れていく。書籍『TSUTOMU KUROKAWA 黒川勉のデザイン』をガイドブックに、改めてその作品、いや、「仕事」を見に行きたくなった。
渡部千春 Chiharu Watabe
1969年生まれ。デザインジャーナリスト。著書に『これ、誰がデザインしたの?』(美術出版社)、『北欧デザイン』(プチグラパブリッシング)、『北欧デザインを知る』(NHK出版)、『20世紀デザインヒストリー』(サラ・ティズリー共著・プチグラパブリッシング)など。