イベントレポート
『地球の食卓』刊行記念トークイベント
レポーター=伊勢華子
さぁ、楽しみましょう。
そんな朗らかな掛け声とともに、<『地球の食卓――世界24か国の家族のごはん』刊行記念ピーター・メンツェル+フェイス・ダルージオトークショー>は幕開けした。
それは、2006年6月30日、東京・青山ブックセンター本店での出来事。ステキな夜の始まりだ。
「さあ、楽しみましょう」。本書でライターを務める、ジャーナリストのフェイス・ダルージオのユーモアまじりのその声は、たちまち会場にリラックスの風を吹かせ、そこにいる私たちの気持ちをひとつにしてしまう。さすがである。
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会場全体の明かりが落とされ、プロジェクターにこれまで2人が目の当たりにしてきた数々の瞬間が映しだされる。アメリカの最先端ロボットによる医療現場、チェコスロヴァキアの「ビロード革命」、クウェートの油田火災……。写真はもちろん、報道写真家として『ナショナルジオグラフィック』などでも活躍してきたピーター・メンツェルが、レンズ越しに見つめ続けてきたもの。36年という歳月をかけて撮りためてきた貴重なものばかりだ。「何かを求めて、ただただ歩いたんだ」。そう言うピーターの眼差しは、優しくも力強い。
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そんなピーターと、フェイスの強い思いがあったからこそ生まれたのが、ベストセラーとなった『地球家族(原題「Material World」)』である。『地球の食卓』はそのシリーズ第3弾となる。
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プロジェクターに映し出される一枚一枚が、私たちに残すメッセージは深い。肌寒い砂漠の夜明けの難民キャンプで5人の子どものために小さな鍋で粥を作るスーダン人女性、内戦の傷跡を残すサラエボ、雨季のわずかな水に頼るチャド、氷上の狩で生活を支えるグリーンランド、不安定な政権に揺れるキューバ、ファストフードの溢れるアメリカ……、めくるめく写真は、世界各国の家族のポートレイトに始まり、その家族が囲む食卓、そして一家の一週間分の食料を映し出す。それらを目前にするうち、まるで私たち自身が地球旅行をしているような気持ちに誘い込まれる。しかも上っ面ではない、胸にちくりとした痛みを伴う地球旅行だ。この痛みはどこからくるのだろう。それは、ピーターとフェイスによる、ひとりひとりの生活や感情を丹念に追った取材があるからだ。見ていると、不安定な政治状況下で暮らすことの不安や、自然の厳しさと向き合う日々を、「自分とは関係のないこと」とは言えなくなってしまうのだ。
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衝撃的な一枚が、そんな私たちにとどめを刺す。パプアの密林の奥地に住む原住民が、先進国の商人によってこの地に持ち込まれたインスタントラーメンを、生のままかじっている写真だ。地球上で何億もの人々が食料不足にあえいでいる一方で、それと同じくらいの人が太りすぎや病的な肥満症にかかっているという。けれどもこの一枚は、更に深刻な事態を伝えている。栄養バランスという知識すらなく、その日に食べるだけで精一杯の原住民がインスタント食品やファストフードを食べている現実は、栄養不足や栄養過多と同時進行で世界を席捲しているのだ。「これは、私たちがこの本を作ろうと思ったきっかけともいえる一枚なの」 とフェイスは言う。
私たちを取り巻く食事情。それは、思う以上に厳しいところにきている。食料不足で食べることができない、贅沢して食べすぎてしまうという単純な話ではなく、貧困格差やグローバリゼーションが今日の食事情に複雑に入り組んでいるのだ。
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スライドは続いて、日本の家族が映しだされる。自分たちの暮らす国というだけあって、会場の集中力がより高まる。ピーターとフェイスは、日本の一般家庭として、長寿を誇る沖縄本土の読谷村(よみたんそん)、東京郊外の小平市の2地域の家族を訪れている。家族を取材するにあたっての選択基準は、その国で平均的な一般家庭であることだという。しかし、この“平均的な一般”というものを選ぶというのはなかなか難しい。しかも、世界規模で集めるとならば一層のことだ。けれども、ふたりがその努力を惜しむことはない。サラエボでは4日間も探し続けても見つからず、乗っていたタクシーの運転手に相談したところ「それならうちはどうだと」提案してもらえて、やっと見つかったという。
取材のエピソードはさらに続く。ピーターが世界を巡るなかで、気に入った言葉のひとつは「腹八分目」だという。沖縄の家族の訪問時、100歳のおばあちゃんの誕生祝いの席で教えてもらったものだ。アメリカでは「腹八分目」という考えはないらしい。ピーターはこの言葉を知って感銘を受けたというが、日本で生まれ育った私たちからすれば、この考えが全くないということの方が新鮮だった。
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スライドをすべて映し終わりトークショーが一段落すると、いくつもの質問が飛び交う。その多くは取材裏についてのもの。「家族を訪問するときは自分の家族の写真をもっていくの。そうすると親しくなりやすいから」と、ユーモアたっぷりに話してくれたのが印象的だった。
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ピーターとフェイスは愛らしい。最愛の夫婦であり、最高のビジネスパートナーでもある。
トークショーが始まるぎりぎり前、2人のところへ挨拶に行くと、和菓子を美味しそうに頬張りながら目をくりくりさせ歓迎してくれた。そして、2人の間には4人男の子がいて「家は賑やかで大変」と楽しそうに話してくれた。
こんな2人だからこそ、24の国を巡り、30の家族に出逢い、深く触れ合うことができたことを改めて痛感する。
伊勢華子 Hanako Ise
“人ハ美シ”をテーマとしたプロジェクト『WORLDING』を中心に文筆業を勤しむ。著書に、世界各地の子どもが自分の宝物や心の世界地図を描いた絵本『「たからもの」って何ですか』『ひとつのせかいちず』、詩集『みみをすませば』、この他『Kinki Kids』への作詞提供、NHK『視点・論点』出演等。
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