「建築」にとっての「零年」を、いつか決めてみたいと長い間待ち続けてきた。
「零」とは、単に「何もないこと」を言うのではない。
そうではなく、「零」とは、過剰と貧困とが等価となるような、記憶のハレーションと忘却の闇とが同時であるような、「建築なるもの」と「建築ならざるもの」とがみさかいなく交錯するような、不思議な時空のことだ。
最近携わる幾つかのプロジェクトのなかで、ほんのわずかにしても、そんな「零の感触」をわれわれは知った。
もちろん「零年」とは、「原点」を、ロッセリーニとゴダールの啓示によって言い換えただけにすぎない、とも言える。