修景とは広義で見れば、風景を修復することに間違いない。それには、風景が造る様々な造形が日常生活のなかで人々と関わり合いながら恰も生き物のように相互に重なり合っている実像を設計者自ら、眼と脚を使って確かめることだ。そのとき、その場所が綴る生活史や文化が身体に伝わってくる。
それが修景のはじまりである。つまり、小環境の持つ固有の「素質」が五感に訴えかけてくるものを感じ取り、読み取ることである。
寡黙で少し荒削りの土壁、旧びた日本瓦、風雪に耐える樹影、清澄な空気、醸造場の煉瓦張り煙突、建物と建物との隙間、露地、ひろば。「ソト」には公益性を、「ウチ」には私利を……それらを共通分母とし、旧新の整合をすすめた。爾来18年、未だ集結点は見えてこない。
風景を修景するということ、それはその場所が持つ素質と時空が重なり合いながら持続することであろう。