私の原点というと数寄屋の設計ということになる。なんだやはりそうか、という軽い気持ちにもなるし、むしろ自分にとってはその後の展開を考えるともっと厳粛な事実であるようにも思える。
この茶室は直島小学校を設計しているうちに設計委託されたものだが、完成はこちらの方が早かった。小さいが恵まれた仕事で、大泉学園の住宅地の庭に単独の茶室をつくりたいという話であった。
ここには、歴史的に継続したテーマを近代建築としてつくるという、その後現在に至るまでつながっている私のテーマが見えている。
壁で出来た箱の中に4本柱を立てて、壁の間に出来る小スペースを床や内露地、洞庫や水屋といったものに落とし込んでいったわけだが、その解は今でも見るに耐えるように思われる。
はじめは、近代建築にもっと気分的に近かったので、意識的にシンメトリーを使ったりしている。
今日に至るまでこの方法の延長上にいるように思える。また、数寄屋のはじめての実現でもあった。