特集

左から建築家/門脇耕三、建築家/米澤 隆、建築家/古澤大輔 写真/山内秀鬼

2020年 春号 分解、そして再構築‑ 座談会‑なぜバラバラなのか

あえて、各部で材料を変えたり、異なるディテールやデザインで納めたり。
その結果、見たこともないパッチワークのような建築が出来上がっている。
もちろんそれは、奇抜な建築を求めた結果ではないだろう。
ではなぜバラバラなのか。建築家たちと議論した。

時を経て、部分が更新されるからバラバラになる

みなさんが設計した住宅を見て、驚きました。なぜこんなにもバラバラなのだろうか。外観も、素材も、部材の納め方も。意欲的に全体像を「分解」した結果だと思うのですが、その可能性についてうかがいます。

門脇何気なく目にしている町場のアノニマスな建築にも「分解」という現象が見られます。たとえば私の自邸の隣にあった築65年の長屋。とても魅力的に思えませんか? 当初はどこかモダンで爽やかな建物でしたが、あるとき、道路側にビルを思わせる陸屋根のファサードを増築しました。ただその背後は勾配屋根のまま。建築家だったら全部同じスタイルに変えてしまおうとするのでしょうが、このバラバラさ加減がじつに素直で愛らしい。

古澤建築史家・藤森照信さんがいうところの看板建築の集合体のようですね。雨樋がクランクしているのがいいですね。建築家だったら改築時にトータリティをもってディテールもデザインしたいと思うところ、偶発的な出来事に合わせて自己変形したような自律性を放っています。

門脇このような工夫が、私にはキラキラした知性に見えるんです。自ら変形しながら新陳代謝を繰り返し、リジットな一体性が壊れていくのですが、その様子はむしろエネルギッシュです。そこにはものづくりに対するいきいきとした喜びや工夫が、建物を通して体現されているのではないでしょうか。

そういった素直さは、建築家の作品からは見出しにくいですか。

門脇建築家はなんらかの一瞬の状態を仮定して作品をつくることが多いと思うので、必然的に全体がコーディネイトされていきます。この住宅も新築時は、いわばコーディネイトされた状態だったのですが、時間が蓄積される過程で、部分が更新されるかたちで局所的な変形が積み重ねられていきました。

「築65年の長屋」

築65 年の長屋 門脇邸の向かいに立っていた長屋。大通り側で店舗を営んでいた店舗兼用住宅。 撮影/Jan Vranovský
竣工当時の長屋。キュービックでモダンな建物だった。 撮影/Jan Vranovský
築65年の長屋を解体して、第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の会場へ搬入するダイアグラム。 The Drawing for Biennale Architettura 2020 © DDAA + village®

ヴェネチアへ渡るありふれた木造住宅の代表に

2020年8月29日~ 11月29日に開催予定の第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館では、「ふるまいの連鎖:エレメントの軌跡」がテーマの展示がなされる(主催:国際交流基金)。「日本のごくあたりまえの木造住宅」の代表として、この長屋が解体され、ヴェネチアに輸送される。解体された材料をもとに、展示台、ベンチなどがつくられ、バラバラになった住宅が別なものに組み立て直される展示。門脇耕三氏がキュレーターを務め、日本の戦後住宅は、木軸にアルミサッシが取り付くなどの来歴の異なる産業の「キメラ的複合体」であるとし、この複合体を解体・再構築することで、その住宅の背景にある社会的・経済的・産業的な圏域を示すことを意図。「モノとコトが混成して複雑さが極まった構築環境」における新しい建築を提示することを目指している。

異なる様式の折衷は、昔からあった

米澤アノニマスな建物が、時間を経て自由なあり方を獲得する様は魅力的ですよね。私は京都の町家育ちなのですが、町家はその時々の生活上の必然性や状況に応じて、変化が積み重なっていくんです。純粋な町家の形式を保ちつづけているのは、むしろ珍しい。実家は昭和に建てられた町家で通り土間はあるのですが、道路側はすでにミセではなく応接間なんですよ。

洋風の応接間ですか。和洋折衷ですね。

米澤和洋折衷というのも、いわばバラバラな様式の融合ですよね。たとえば堀口捨己の「岡田邸」(1933)などは和と洋、そしてモダニズムが融合した象徴的な作品ではないでしょうか。ただ堀口自身の言説によると、それは生活様式の過渡期において、親世代・子世代の相容れない家族制度の相克を調停できなかった所産だった、とやや消極的な感を受けます。村野藤吾も同じく、この頃は、日本の伝統的な様式と西洋から入ってきた様式のハイブリッドを主題とせざるをえなかったのだと思います。

古澤和洋折衷には、折衷されたひとつの全体性があるのではなく、「和」と「洋」のふたつの全体性が同時に存在しているところがおもしろい。全体性は必ずしもひとつである必要はないのでしょうね。

門脇分解されたものを折衷するときが、最もクリエイティブで、何かが起こりうる可能性を秘めていますよね。本来混ざっていなかったものを混ぜ合わせるわけですから。

寺院建築においても、かつて禅宗様(唐様)と和様(日本様)がありましたが、それらは実際は折衷されて、中世・近世の名建築が生まれました。

米澤そういう建築が魅力的なのは、単に形式化されたスタイルのことだけではなく、その背後には融合が求められる理由があるからだと思うんです。堀口の和洋折衷においても、異なる家族制度の相克があったわけですから。家族間で好みや記憶が異なるというのも、ライフスタイルという観点でとらえれば、非常に現代的なテーマだと思います。私自身も、ご主人と奥さんとお子さん、生活リズムが異なる一家のための「福田邸」という住宅の設計に取り組みました。ここでは日本的な大屋根をかけて一体感を、その下でモダンな白いキューブを四方に伸ばして個々の居場所をつくり、ライフスタイルのズレを調停しようと試みたんです。

「福田邸」

2013年
設計/米澤 隆

「福田邸」撮影/米澤 隆

みんなで過ごす大屋根と、ひとりで過ごす白い箱

2013年に岐阜県関市につくられた木造2階建ての住宅。大屋根に白い箱が刺さったような外観をしている。多義的な場を生むことを目指して、伝統的な民家のような屋根と、白いミニマルな近代建築の異なるデザインでひとつの建築をまとめている。大屋根の下の広い空間を人が集まる場、白い箱の中を寝室や子ども室などの個室とし、ひとりで過ごす場と家族で過ごす場を明確に分け、その関係を探る試み。

全体像は、必ずしもひとつでなくてもよいのではないか

古澤「分解」というキーワードで思い浮かべたのは、『建築』1967年11月号に収録されている菊竹清訓の「ある空間経験」というエッセイです。学園防衛隊の一員として木造の大隈会館に寝泊まりしていたところ、東京大空襲の日は避難し、翌日大学に戻ったらすべてが焼失して瓦礫のなかに暖炉の煙突だけが屹立していた。インテリアとしか思っていなかった暖炉や煙突から、焼失した建築のスケールや構造が推測でき、煙突にうがたれた孔から、そこに接続していた木造の梁の存在がうかがい知れ、部分しか残っていないのに全体像が立ち上がることに感嘆と美を覚えてしまう、というのがその概要です。

その煙突が、自邸「スカイハウス」(58)やメタボリズムなど、菊竹の方向性に大きな影響を与える原体験になったそうですね。

古澤外形を失ったのに外形を想像できる。そのアンビバレンスな様相がおもしろいと思いました。

門脇残された煙突は建築の構成要素としては半端だけれども、そこから全体が浮かび上がるような萌芽性をもっている。「エレメント」という言葉はさまざまに解釈されますが、私はその半端な断片から全体に生成していく力をもつものを、エレメントだと考えています。

古澤もうひとつ事例を紹介すると、美術の教科書によく出てくる「人頭有翼獅子像(大英博物館蔵、紀元前9世紀、アッシリア)」というものがあります。獅子には脚が5本ついており、現代のわれわれからすると奇異に思えますよね。ただ当時は正面性で物事を見ていました。前面と側面それぞれの立面では不自然ではない。しかし立体で見ると、ふたつの立面図が重なったがゆえに奇異な像となったのだと思います。

門脇ひとつのものを多視点的につくっているということですね。

古澤はい。前から見た全体像と、横から見た全体像の融合なわけです。つまり、全体性というものは必ずしもひとつでなくともよいと思うんです。和洋折衷のように、複数の全体性が存在し、拮抗あるいは調停されるときに新たな可能性が生まれるのですから。建築は具象体であり抽象体でもあります。部分はきわめて具象的で、その背後に全体性という抽象体がある。獅子の像のように、具象体と抽象体が結びつく両義的な状況を呼び起こしてみたいと常々考えています。

両義的な状況が魅力的なのは、なぜでしょうか。

古澤両義性というと、とかく二項対立的な図式を想起しがちですが、拮抗する二項、つまり地と図の反転可能性に魅力を感じるのです。そこには、想定内にとどまらず、想定外を受け入れて止揚する「したたかさ」を生み出すヒントがあると思うからです。

門脇私はそもそも全体性すらなくてもよいとも思うんです。バラバラなままでいい。フランス式庭園とイギリス式庭園を思い浮かべてみてください。前者は王座から俯瞰的に一望できる統一的な視点でつくられているのに対し、後者は径がうねり、異なる場面が次々と立ち上がり、全体性という視点が希薄です。私自身がひかれるのは後者なのですが、それは都市の状況と通底するものがあるからなんです。

都市が複雑なのだから、建築も複雑になる

門脇都市は、それぞれが異なる論理を抱えた建築の集合体としてとらえることができます。それらの関係は連続的であり、同時に離散的であり、ある種の多重レイヤーのような様相を呈している。つまり、都市はひとつでありながら、都市を構成する建築はバラバラなんです。敷地という固有の領域内で完結して設計しようとすると、領域内の建築のエレメントは連続的な統一性をもたせられるのですが、領域外からはどうしても切断されてしまいます。それに対して、周辺の多様性を引き受けながら設計すると、領域内ではエレメントは離散的でありながらも、周辺環境とはむしろ連続的な関係を築くことができます(ダイアグラム参照)

古澤今は、敷地の周辺はどんどん多様になっている時代ですよね。

門脇周辺のコンテクストが何もない、まったく白紙のような状況下であるのなら、周囲と関係性をもたないというのは強い建築をつくるうえで有効な手法なのでしょう。しかし、今は周辺、つまり街並みや都市が複雑で豊かな状況になっている。建築そのものが両義的あるいは多義的で複雑なものが多いのは、今の時代の必然だと思います。

古澤時がたてば、このダイアグラム上で示されている水玉の色・形・大きさも変わるわけですよね。やはり従来の一義的な対応関係をいかに超えていくかが、これからの建築を考えるカギのひとつになると思います。その際に僕としては、「両義的な全体性」に可能性を感じます。

敷地内だけ見るとバラバラだが、周囲と合わせて考えて調和を目指す。

ある建築を敷地のなかで統一したデザインにすると右図のように、敷地内では統一感があるが、周囲の多様な街並みと調和していない。一方で、周囲の多様な街並みの要素と合わせて敷地内の建築を設計すると、上図のように敷地内では不統一だが、街並みとはむしろ調和している。

手分けしてつくれば、
建築も多様になるのではないか

門脇話は変わりますが、そういった多様な建築をつくるためには、建築のつくり方、つまり建築生産のあり方も分解されていいと思うんです。そもそも日本の伝統的な生産組織をかえりみれば、家づくりにおいては大工・畳屋・経師屋・建具屋など、各職種がヒエラルキーなく手を動かしていたのではないでしょうか。現代のように建築家やゼネコンがトップダウン式に統括するのではなく、部品メーカーやサブコンが最大限のクリエイティビティを発揮するようにできれば、ものづくりは豊かになると思うんですよ。ひと言でいえば、職人さんたちと一緒に楽しんで、建築をつくりたいんですね。

つくり手の主体性は、どういった場面で発揮されるのでしょうか。

門脇かつての日本の住宅では、床の間がステイタスの象徴で、建主はそこではとくに自由に大工の腕を振るわせていたと思います。建主、職人の双方にとって家づくりの醍醐味が凝縮したような空間だったわけです。つくり手の工夫が輝く様子を見るにつけ、建築家が専権的に物事を決めることに疑問を抱くようになって。もちろん建築家というフィルターがあってもよいのですが、もう少したくさんの知恵を集積するようなものづくりのあり方があってよいと思っています。

米澤最近はリノベーションが定着してきたこともあり、住民や職人がデザインに参加する機会が増えたのではないかと感じています。リノベーションはすでに既存建築という全体性があり、建築家がゼロからコントロールすることもできませんし、住民が参加する以上、建築家によるトップダウン方式で進めるという状況でもありません。

そういった状況では、建築家はいかなる役割を果たすのでしょう。

米澤愛知県津島市で11軒の長屋のリノベーションに携わったときは、移住者が好きに空間をつくれるよう、コストや構法面のサポートを求められ、リノベーションのアイデア集を用意することを思いついたんです。2000年以降に建築専門誌に掲載された木造のリノベーション事例を集め、寒い、暗い、構造補強が必要などの課題と、それに対する操作および効果を抽出して、各部のアイデア図鑑のようなものをつくりました。専門家ではない人たちと共通言語をもちうるだけでなく、小さな部分に分解することで、みんなが理解しやすくなりました。

門脇多くの人がものづくりに参加するリアリティを感じる取り組みですね。ユーザー参加は昔から論じられていますが、80年代に入るとユーザーが消費者としてものづくり社会に参加するというアプローチが主流になりました。米澤さんのケースのように、ユーザーも主体的に参加できる手だてを築くのは重要ですね。

リノベーションと同じように、新築においても、建主をはじめとした大人数で設計を行ったのが「オハドコの家」ですね。

米澤新築だとしても、最初から全体像を先行して考えてしまうと、予測不能な応答があった場合に破綻して、時としてクライアントも建築家も不幸な結末を迎えてしまうのではないかと思っています。だったらハンドリングしやすい部分からスタートしようということで、「オハドコの家」では敷地・間取り・ライフスタイルなどの課題をいくつも設定し、それに対して部分的な「アイデアの種」をスタッフや学生など複数の設計者が自由に提案し、その一つひとつに建主に応答してもらい評価をつけ、それを受けて、さらに「アイデアの種」をアップデートする……ということを繰り返しました。

古澤部分だからクライアントも入り込みやすく、設計側としても操作しやすいんですね。

各部材が、それぞれの目的のために自立している

古澤さんと門脇さんの自邸では、それぞれ柱、梁、スラブなどのあり方を見直し、一度部材一つひとつを個別に考えてから、全体の建築設計をしているように思います。「古澤邸」はRC造のラーメン構造で、通常一体として設計されるスラブと梁を分離した計画がなされています。

古澤フレームの分解は、菊竹清訓の『代謝建築論』に書かれている「柱は空間に場を与え床は空間を規定する」という言葉に影響を受けています。柱は空間を閉ざすものではなく、そのまわりに空間を生み開放するべきものだとした。その考えに同意しつつ、いかにフレームを開放できるかを考え、十字平面の1方向1フレームでできた最小限の純ラーメンと、薄いフラットスラブのハイブリッドシステムに行き着きました。

耐力壁がなく、床スラブの薄さもあいまって、部材が顕著に自立している印象を受けます。

古澤柱、梁、床の本来の役割を見えるようにしたかったんです。水平垂直の力の流れを明示化すべく、重力に対する水平部材であるスラブを垂直部材である柱が支え、その柱が座屈しないように水平部材として梁が支えるという連鎖的な構図です。それにより、構造体の役割が見えて強くも感じますが、一体化していないのでどこか弱くも見えるという両義的な状態が立ち現れるのはおもしろい経験でした。また、これは約10年前に手がけた「バルコニービル」という計画案のリノベーションでもあるのです。同じ敷地で5層の中央をシリンダーが貫いているのですが、そのシリンダーの解体から出発しています。原案を分解して、再構築したリノベーション的な新築です。

門脇さんの自邸は鉄骨造ですが、各部材が意識的にかみ合わないような方法で接合するなど、徹底して各部材の自立性を追求していますね。

門脇構造も素材も、あるがままでバラバラなんです。けれどもそうすると、各部が不思議といきいきとして見えて、押しつけがましくなくて気持ちがいいんですよ。夜中にリビングのソファに寝そべって天井を見上げると、梁がとんでいたり、納まりのズレが目に入るのですが、お前も好きにやれよ、と言われているようで(笑)。ちょっとアニミズムみたいなところがあるのかな。建築家が専権的にコーディネイトした空間からは生まれない感覚なんですよね。

まるで、部材同士を縄でしばって接合していたと推定されている縄文時代の竪穴住居のようですね。継手仕口できれいに納めようということの前に、「柱梁を接合する」というひとつの目的に素直な表情を見せている。

古澤門脇邸ののびやかさに共感します。各部材が、あるがままの状況で存在根拠を肯定されているような心地よさ。人間だって、かしこまった姿勢を取りつづけていたら窮屈でしょう。だらしがないときがあってもいい。人間は、存在根拠を肯定されたいと思っている生き物ですから、梁が気持ちよさそう、と感じるのは大切な感覚だと思います。

分解、そして再構築へ

門脇しかしながら、建築家の職能としてはやはりなんらかの統合を担うべきというのが、おそらく一般的なスタンスですので、反論の声が上がるのはもっともだと思います。まったく統合すべきではない、と言っているわけではないんですよ。ただその統合が、ひとつの敷地内や一定の瞬間に果たされなくてもよいのではないか、というのが私の素朴な感覚です。

古澤私自身は、いくら部分に分解しても、最終的には統合して建築にまとめざるをえないと考えています。バラバラなままでいられるならそれでよいのですが、意図せずとも事後的に現れてしまう全体像は必ずあるので、それを事前に周到に回避することを目的化するよりも、むしろその事後性に責任をもちたいというスタンスです。

米澤結果的に全体像が現れることは避けられないとしても、違う文脈から見たら違う解釈が可能という状態をつくり込むのがよいのではないでしょうか。今の社会状況のコンテクストを詰め込んだ設計をしても、それは何十年後には無意味なものになってしまう可能性すらある。どのような状況でも適応できるよう、異なる視点でつくられていることがよいと思っています。

部材や部位、さまざまな局面に分解して建築を考えることで、一度各エレメントを純化させ、ハンドリングしやすくさせていますね。そして、その各エレメントをまとめて再構築していくときに、強い全体性をもたず、さまざまな解釈の余地を残した建築をつくろうとしているところが、みなさんに共通するアプローチでしょうか。

古澤そうですね。全体性を否定するのではなく、分解という行為を通じてさまざまなコンテクストを入れていくことで、多様になり、豊かになれる。言い換えれば、想定外を受け入れる寛容な世界へ近接していくために、そんなトライアルをしているのだと思います。

  • 門脇耕三氏の画像

    門脇耕三Kadowaki Kozo

    かどわき・こうぞう/ 1977年神奈川県生まれ。2000年東京都立大学工学部建築学科卒業。01年同大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。同大学助手などを経て、12年明治大学専任講師、19年准教授。12年アソシエイツ設立(パートナー)。博士(工学)。
    おもな作品=「つつじヶ丘の家」(15、スキーマ建築計画と共同設計)、「元速水医院」(17)、「メタルラボのアネックス」(19)。

  • 古澤大輔氏の画像

    古澤大輔Furusawa Daisuke

    ふるさわ・だいすけ/ 1976年東京都生まれ。2000年東京都立大学工学部建築学科卒業。02年同大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了後、メジロスタジオ設立(馬場兼伸、黒川泰孝と共同主宰)。13年メジロスタジオをリライトデベロップメントへ組織改編(16年リライト_Dへ名称変更)。13年日本大学助教、20年准教授。博士(工学)。
    おもな作品=「中央線高架下プロジェクト」(14)、「十条の集合住宅」(16)。

  • 米澤 隆氏の画像

    米澤 隆Yonezawa Takashi

    よねざわ・たかし/ 1982年京都府生まれ。2005年米澤隆建築設計事務所設立。07年名古屋工業大学工学部社会開発工学科建築コース卒業後、同大学院工学研究科修士課程、博士後期課程修了。16年大同大学専任講師。博士(工学)。
    おもな作品=「公文式という建築」(11)、「福田邸」(13)、「海の家、庭の家、太陽の塔」(18)。