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左から営業:雨宮敏夫 現場監督:内野桂太 棟梁:壺屋健二 代表:水澤孝彦 「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」に再現された「游心亭」の広間。施工を担当した水澤工務店の4人。写真/川辺明伸

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残す、大工の技術作品/谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館 游心亭
施工/水澤工務店

谷口吉郎氏の名建築、迎賓館赤坂離宮・和風別館「游心亭」が、吉生氏設計の「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」に再現された。施工は水澤工務店。数々の名建築を支える大工技術と「游心亭」の意匠をご覧ください。 再生時間/5:18

2020年 新春号 残す、大工の技術‑ CaseStudy#1‑45年を経た、大工技術の「写し」

作品/「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館 游心亭」
設計/谷口建築設計研究所
施工/水澤工務店

1974年に竣工した建築家・谷口吉郎氏の名建築、迎賓館赤坂離宮・和風別館「游心亭」。
2019年、その忠実な再現が、谷口吉生氏設計の「金沢建築館」の中に完成した。
施工を担ったのは、どちらも水澤工務店。創業から105年。
数々の名建築を、大工技術で支えてきた彼らの技術は、いかに継承されてきたのだろうか。

広間床脇の違い棚。地板は欅、棚板は桐。2枚の棚板を直径13㎜の竹の吊り木で支えている。この繊細な納まりを実現するため、仮設の架構で棚板を支えながら施工を行った。見えない工夫が繊細なディテールを可能にしている。写真/川辺明伸
44畳の広間。中央の掘こたつ式のテーブルは、床下に収納することで、一面を畳敷きとして利用することもできる。写真/川辺明伸
広間より水盤を見る。緑の向こうは犀川。天気のよい日には水盤に反射した光が天井で揺らぐ。写真/川辺明伸

迎賓館赤坂離宮から金沢建築館への「写し」

迎賓館赤坂離宮・和風別館「游心亭」(以下、和風別館)の広間・茶室の施工は、それまでの民間工事ではなく、水澤工務店にとって稀な公共工事だったそうですね。

代表・水澤孝彦創業者である先々代の水澤文次郎が社長を務めていた時代のことですが、初めての公共の仕事で、それも特別に重要な施設でしたから、強い緊張感に包まれて仕事がなされたと伝え聞いています。それ以前に、谷口先生の仕事は「山種美術館」(1966)や「出光美術館」(66)の内装などを担当させていただいていまして、一連の対応や出来ばえに対する信頼が和風別館の仕事につながったと推量します。

今回はどのような経緯でその忠実な再現(以下「写し」)の施工を担当されることになったのでしょうか。

営業・雨宮敏夫公共工事ですから特命ではありませんが、2010年から資料作成などの作業にたずさわっていました。現状の調査、実測などです。そこから足掛け9年、長い道のりでした。

施工風景 柱と鴨居の取り付き。柱と金物がボルトで連結されている 提供/水澤工務店
施工風景 幕板の内側の溝に、鴨居をゆるませない円弧状の金物を取り付けている。 提供/水澤工務店

谷口吉生氏の意気込みは大変なものがあったでしょうね。

水澤おじいさまが九谷焼の窯元で、戦時中はここに疎開していた経験をおもちで、おそらくお父さまとの約束もあったことでしょうから、並々ならぬ熱意で取り組まれていることが私たちにもひしひしと伝わってきました。

当時の図面は残っていたのですか。

雨宮設計図や施工図などは、水澤工務店で保管し完全に残っていました。けれども現場は生き物で変更はありますし、大工は図面をよりどころにしながらも原寸を自ら描いて細部を決めて施工しますから、図面から仕上がりの状態の隅々を確認できるわけではありません。

現場監督・内野桂太とくに納まりを検討する段になると、図面からではわからないところが多々あり、和風別館に何度も足を運びました。広間の大スパンの長押・鴨居と柱の精巧な納まりに見られるように、見えがかりよりは、形状を可能にしている仕組みとか裏側の工夫ですね。実物に教えられることはたくさんあります。

そのまま「写す」のが基本だったとしても条件は違い、対応は容易なことではなかったと推測しますが。

水澤ここに限りませんが、今の時代に和風の建築や空間をつくる際には、消防法に適合させることが高いハードルになっています。和風の設えと消防法が定める不燃、準不燃などの決まりはなじみにくい。やむをえないことですが、年を追うごとにハードルが高まり、昨日可能だったことが今日はできないことが間々あって、そのつど対応をせまられているのが現状で、今回の「写し」でも数々の工夫を要しました。

内野たとえば、茶室の天井の桐の網代は不燃の認定をとっているものでないと使えませんが、寸法が微妙に合わなくて、つなぎ目のところで苦労しました。それと空調設備が昔と今では大きく違います。今のニーズに応えるには高度な空調設備が必要とされますが、それらが仕上がりの姿に障らないようにするために、設計側と施工側で綿密に検討をしました。

広間の広縁側の柱。3方向から大スパンの鴨居が渡されている。写真奥は12畳の次の間。写真/川辺明伸

倉庫に眠っていたオリジナルの材料を発見

材料の点ではどうでしたか。

雨宮和風別館の施工から40年以上たっていますから、事情はまったく違います。とくに木材についてはそうで、良材が得がたい状況が進んでいます。柱、鴨居、廻り縁など赤松が多く使われていますが、赤松の材そのものが少なく、節のない良材は入手がきわめて難しい。今回の仕事では、私自身、岐阜の山中に分け入ったりして、可能な限りオリジナルに近い木材を求めるよう努力しました。

内野茶室の柱はすべて北山杉の面皮ですが、オリジナルでは床柱だけわずかに絞りが入っています。その絞りの具合が微妙で適材が見つからず、現地の材木屋に出向き、直接目で確かめて最良のものを選びました。

水澤目がすっきり通っている材とか長い材は入手が本当に困難です。きびしい自然環境のもとで育ち、枝打ちなどの管理が行き届いている木から目が細かくて節のない、数寄屋に適した材が得られるのですが、そうした状態が保たれなくなっています。

棟梁・壺屋健二広間の広縁側の柱のスパンは7.5mあって、オリジナルではその長押・鴨居の表面材は一枚ものでした。今回はそうはいかず、やむなく途中で継いでいますが、継ぎ目がほとんど目立たないように工夫しました。

雨宮それでもいくつかの木材は、水澤の倉庫に当時余分に確保していたものが残っていて、それを使うことができました。広縁と広間のあいだの式台の楠材、襖や屛風の枠のケンポナシ材、茶室の地板のやに松がそうです。

奇跡的なことですね。

水澤水澤の倉庫は玉手箱だと谷口先生から言われました(笑)。もうこれ以上は出てきませんが。

「写し」にあたって設計上で変更点はありましたか。

水澤広間の天井にLEDのスポットライトを設置し、テーブルを照らすようにしたことです。昔に比べると室内環境が明るくなってきていて、ある程度の明るさでないと料理がはなやかに見えないという判断からでしょう。

内野変更ということではありませんが、和風別館と異なるのは、扉ひとつでモダンな空間と仕切られたかたちになっていることです。谷口先生はその境界のところのデザイン、納まりに注力されていました。壺屋棟梁が何度も原寸を描き直して今の姿になりました。

材料が得にくくなっているとのことですが、扱う職人も少なくなっているのではないでしょうか。

水澤一般的にいえばまさにそうで、大工をはじめ急速に少なくなっていますが、私たちの周囲ではやや事情はよいように思います。今回の仕事でいえば、各職方それぞれに後継を得て、脈々とつづいているケースが多い。たとえば広間。床の間の地板の漆仕上げは、和風別館を手がけた同一人が今回も手がけていて見事な仕上がりですが、そこでは20歳そこそこの女性が職人として志をもって働いています。

雨宮襖と屛風の表は同じ椿の図柄の金襴、銀襴の織りですが、工場にサンプルが残っていたので、当時のままに再現されています。次の間の照明器具にしても同様で、技量の継承は途切れていないと思います。

立礼席の茶室全景。能舞台状の四畳半で主人が茶をたて、客は周囲の席に腰掛けながら接待を受ける。写真/川辺明伸
水屋から入口周辺を見る。腰壁はひしぎ竹張り。円形の下地窓は、外光に近くなるよう間接照明で調光。写真/川辺明伸

大工の独り立ちには20年かかる

職人は技量を習得するための修業期間を要するわけですが、今の若者が耐えられるものでしょうか。

壺屋私自身は知り合いの建具職人が水澤の仕事をしていたので、その人の紹介で入りましたが、今の人のほとんどは雑誌そのほかの情報から水澤工務店にあこがれを抱いて入ってきます。ですからみなモチベーションは高くて、長く続きます。

修業というか研鑽の期間はどれほどですか。

壺屋鉋がけにしても削り3年研ぎ8年といいますから、10年で一区切り。一通りこなせて独り立ちするにはあと10年、計20年というところでしょうか。

鉋がけはそれだけ難しい。

壺屋杉の表側の白いところ、白太といいますが、そこをきれいに仕上げられて一人前ですね。砥石、台の調整(台ならし)などすべてが揃わないとできません。

水澤手がける仕事は種類も要求も違う。そのつど挑戦する気持ちでいるうちに技量が高まっていくのだと思います。ですから研鑽に終わりはなく、どこまでもつづくというのが正しいのではないでしょうか。

壺屋20年は長いようですが、過ぎてみるとあっという間。私もついこの前まで10代のつもりでいたら、気がつくと70代(笑)

内野伊勢神宮の遷宮が20年ごと、山口の錦帯橋も同じだったように思います。構築物の耐久年数よりはるかに短い期間で改築、新設が行われるのは、技量の継承という点から合理的な年数ではないでしょうか。

点前座上部の天井、桐の網代天井、竿縁の掛込天井のあいだには、空調設備が設置されている。写真/川辺明伸

数寄屋の仕事を途絶えさせないために

技量の伝承はどのように行われているのですか。

水澤「仕事は盗んで覚えろ」というフレーズがありますが、昔はそのとおりにしていた棟梁もいたようです。水澤工務店では、大工24人を5班に分けて、班ごとに棟梁がついていますが、昼休みには、作業中の木の仕口に手ぬぐいをかけて隠してしまう(笑)。子方はすばやく手ぬぐいを持ち上げて覚える。いじわるというより、知りたいという気持ちを高める方法だったのかもしれない。でも今は違います。

壺屋私は親方から叱られたことがありません。叱られて覚えるということはない。私も叱りません。

水澤棟梁、叱らないで仕事を進める秘訣を教えてくださいよ(笑)。

技量うんぬんは仕事あってのこと。数寄屋の需要は次第に少なくなっているのではないでしょうか。

水澤10年ほど前は、あるいは遠からず途絶えてしまうのではないかと思うこともありました。けれども近年、若い人たちの日本の美意識に対する関心が高まってきたり、海外の人たちをもてなす場として和風が好まれるなど、風向きがかなり変わってきています。雑誌やテレビなどに取り上げられることも多くなっています。
 現状で危惧しているのは数寄屋の設計者が年々減少していることで、水澤の設計室にはかかわりが深かった吉田五十八先生の薫陶を受けた板垣元彬先生の事務所にいた方に入っていただき、後継の育成にあたってもらっています。

雨宮さんは今回の仕事の全過程にたずさわったわけですが、最も大事にされたことは何でしょう。

雨宮「写し」は言葉では伝えられない雰囲気が大事だということですね。寸法、材料、工法をまったく同じにしても、オリジナルの雰囲気が再現できるとは限らない。幸い、竣工したとき、先生から合格点をいただいたので、ほっとしました。

水澤 以前、吉田五十八先生設計の小住宅を老朽化に伴い解体復元しましたが、現場には先生を熟知していた元現場員がたずさわりました。これは「写し」と同程度に難しく、風合いに違いが出ないことが求められました。和風の「写し」は難しく、奥が深いです。今回の「写し」にしても、多くの方々に見ていただき、批評・感想を寄せていただければ、一同、それをはげみとして精進してまいりたいと思います。

南東側の寺町通りから見た外観。写真/川辺明伸
  • 水澤孝彦氏の画像

    水澤孝彦Mizusawa Takahiko

    みずさわ・たかひこ/1968年東京都生まれ。93年大阪芸術大学建築学科卒業。93年~AA School留学。97~99年芦原太郎建築事務所勤務。2000年~水澤工務店。03年~同社代表取締役。祖父・文次郎、父・晴彦に続く3代目。05年「平山郁夫シルクロード美術館」(04)でグッドデザイン賞を受賞。14年に水澤工務店は創業100周年を迎えた。

  • 壺屋健二氏の画像

    壺屋健二Tsuboya Kenji

    つぼや・けんじ/1948年東京都生まれ。1968年日本大学短期大学部工科建設科卒業。父親が大工だったため、幼い頃からものづくりにあこがれ、さらに高度な数寄屋建築を勉強、希望して大工の道へ。76年~水澤工務店。おもな施工担当作品=「重要文化財 自由学園明日館保存改修」(2001)、「德藏院 本堂・社務所・釈迦堂」(05年・12年・15年)、「鎌倉見晴邸離れ」(12)など。

  • 内野桂太氏の画像

    内野桂太Uchino Keita

    うちの・けいた/1976年東京都生まれ。2000年工学院大学工学部建築学科卒業。06年、ハウスメーカーを退社後に水澤工務店へ入社。おもな現場監督作品=「流芳庵茶席増築工事」(13)、「浜離宮庭園燕 御茶屋復元整備工事」(15)、「浜離宮恩賜庭園鷹 御茶屋復元整備工事」(18)など。

  • 雨宮敏夫氏の画像

    雨宮敏夫Amemiya Toshio

    あめみや・としお/1953年山梨県生まれ。76年日本大学工学部建築学科卒業。76年~水澤工務店へ入社。76~2002年は現場監督を経験。02年~営業を担当。おもな現場監督作品=「目白ハウス新築工事」(1988)、「松籟亭新築工事」(90)、「聖徳学園理事長公邸新築工事」(93)など。

施工組織概要

㈱水澤工務店
1914年
83人
24人(うち棟梁5人)、外部協力10人
2018 16棟
約46歳(最年長:71歳、最年少:21歳)
使 奈良県吉野、長野県木曽など
東京都江東区木場、東京都江東区新木場