特集

南側の庭から見た外観。全体にスパニッシュ風の意匠。1、2階の半外部空間であるスクリーンポーチ、テラスが特徴的。【左:九段ハウスの館長】髙橋利世子(たかはし・りよこ)2016年法政大学生命科学部卒業後、東邦レオに入社。事業部を超えて、緑化の新築工事の施工管理や新卒採用プロジェクトリーダーを経て、現在は九段ハウスの館長を務めている。【右:歴史的建造物の保存活用を進める竹中工務店の担当(企画・事業化推進)】鍵野壮宏(かぎの・まさひろ)2005年早稲田大学理工学部建築学科卒業。07年同大学院理工学研究科建築学専攻修了後、竹中工務店。08年に都市開発を担当する開発計画本部に所属。15年新しい事業領域にチャレンジするための社内コンペに参加し、歴史的な建築を活用する「レガシー活用事業」を提案し最優秀賞に選定、翌年に事業化推進。 写真/傍島利浩

2020年 秋号 変容する住宅たち‑ CaseStudy#4‑企業の会員制オフィスになった
都心の大邸宅

作品/「山口萬吉邸(現・九段ハウス)」
設計/木子七郎

九段下の一等地に90年以上のあいだ立ちつづけてきた山口萬吉邸。高層化したほうが収益は大きい立地だが、住宅を壊さずに会員制オフィス・九段ハウスとして生まれ変わった。

1階の廣間。噴水があり、半戸外のような印象を受ける。噴水の裏側はトイレ。右手には、扉が左右対称に見えるように、開閉しない扉状の装飾がある。写真/傍島利浩
応接間。ソファの下に空調の吹出し口を設置するなど、既存意匠と調和するかたちで設備を更新している。写真/傍島利浩

都心の一等地に立ちつづけてきた歴史的建造物

九段下という都心の一等地。よく建物が残っていましたね。

鍵野そうですね。1927年の建設ですから、90年以上が経過しています。九段ハウスの周囲は文教地区に指定されていますが、それでも容積率は400%です。壊して大きなビルにしたほうが、金銭的にはずっと楽なはずです。改修費や相続税の問題で、歴史的建造物が次々と姿を消す都心にあって、奇跡のような建物だと思いました。

戦禍もくぐり抜けてきたわけですから、鉄筋コンクリート造だったことも一役買っていそうです。

鍵野そうですね。構造設計は、東京タワーを手がけた内藤多仲です。耐震壁を用いた構造理論を考案し、「耐震構造の父」とも称される人物ですね。日本最初の壁式構造とされる内藤多仲自邸の建設が1926年ですから、この建物はほぼ同時期です。外観はスパニッシュでまとめられていますが、大正・昭和初期の日本を象徴する様式のひとつですね。設計には、木子七郎を中心に、今井兼次、吉田鉄郎といった名だたる建築家がかかわりました。構造、意匠ともに歴史的価値の高い建物です。

今回の事業のために登録有形文化財にもしたそうですね。オーナーはどのような方ですか。

鍵野竹中工務店では、これまでも歴史的建造物の保存や活用に携わってきましたが、一族や会社の歴史を大切にされるオーナーが多かったですね。九段ハウスもそうで、山口家や建物の歴史をとても大切にされていました。山口家は、新潟の大庄屋で、明治期以降石油や鉄道、金融、電力など、多くの事業を通して地域の発展に貢献した一族です。山口萬吉はその分家筋にあたり、江戸末期に家を起こして、5代目の時代にこの住宅を建設しています。戦後アメリカ軍に接収された時期もありましたが、昭和の時代をずっと生き抜いてきました。歴史ある建物を次の世代に残したい、そんなオーナーの想いが九段ハウスの出発点です。

2階のホールから1階の廣間を見下ろす。2階奥に既存のラジエーターのカバー。新設の空調機が格納されている。写真/傍島利浩
玄関。床の大理石やモザイクタイルは当時のまま。扉にはめ込まれたガラスは開閉でき、通風を確保できる造り。写真/傍島利浩

会員制のオフィスに生まれ変わった

ところで、このプロジェクトには3社がかかわっているとか。

鍵野はい。東急、竹中工務店、東邦レオの3社が共同でオーナーからマスターリース(賃貸)を受けています。期間は20年。3社で改修費用を負担し、東邦レオの関連会社であるNI|WAが運営にあたっています。

依頼は、どのような経緯でしたか。

鍵野竹中工務店では2015年に新規事業の社内コンペがあり、私はチームを組んで、歴史的建造物をビジネス活用しながら守っていく「レガシー活用事業」を提案しました。これが当選し、事業が具体化するなかで候補を探していたところ、この建物に出会ったのです。そして、オーナーから同時に検討を進められていた東急、東邦レオと一緒に進めませんか、と引きあわせていただきました。オーナーは、長らくさまざまな可能性を探られていましたから、応援の輪も広がっていたのですね。

髙橋東邦レオは、おもに緑化事業を通して不動産の価値をアップさせる取り組みを続けています。運営にあたるNI|WAは、屋外空間のにぎわい創出のためのコンサルティングなどを行っています。NI|WAが誕生したのは、東邦レオの事業を拡大しようと、ちょうど会社が大きく変化した時期でした。
 また、東急もワークスタイル・イノベーションを掲げ、多様化する働き方に対する提案と実践を推進しており、2016年からは会員制サテライトシェアオフィス事業を展開し、テレワークを導入する企業を対象に、安全で快適な執務環境を提供していました。
 今振り返ってみると、3社ともよいタイミングだったのではないでしょうか。1年ほどの検討期間を経て会員制のシェアオフィスにすることで話がまとまり、改修工事が始まりました。

なぜ、会員制のオフィスが選ばれたのでしょうか。

鍵野ウエディングを検討した時期もありました。ただ、この建物は壁式構造で個室がたくさんあり、列席者が集まる場が確保できないし、文教地区ですから使い方にも注意が必要です。では、個室が多いことが生きる用途は何か。そう考えたときに、会員制のオフィスの案が浮かんできました。クラシックな空間ですし、もともと住宅ですから、迎賓館のような雰囲気でビジネスのイノベーションを生み出してくれます。

変容のポイント
会員企業がそれぞれの目的で空間を生かす

屋上のオープンテラスを憩いの場に 提供/九段ハウス
1階のビジネスラウンジでは重要な会議を 提供/九段ハウス

利用方法は、毎回会員とともに相談しながら決めているという。迎賓館のような雰囲気の建物が読み解かれながら利用されている。

会員企業のプロモーションや重要な会議に使われている

改修工事の内容を教えてください。

鍵野当然ですが、オフィスとしての機能性や快適性が求められました。空調や照明、LAN、コンセントなどの設備は必須です。とくに空調設備は機械が大きくダクトもある。居室や外観への影響が最小限になるよう検討を進め、1階用には地下の物置、2階や3階用には道路や庭から見えない2階屋上に機械を設置することにしました。吹出し口の位置も工夫し、たとえば廣間の既存のラジエーターグリルの中、応接室の造り付けソファ下に設けています。
 全体としては、当初の設計がよく残っていましたが、さすがに炊事室や食堂(現・キッチン・ダイニング)、茶の間(現・ライブラリー)は、住み継がれるなかで改造されていました。ですから、この部分は意匠的にも大きく変更しています。しかし、そのほかの部屋は補修が中心です。靴を履き替える場所もそのままです。必要に応じて家具の追加などはしましたが、当初の設計と新しく追加した要素が調和しつつも明確に分離するよう心がけました。

実際どのように利用されていますか

髙橋毎回会員と相談しながら決めていますが、基本的には1棟貸しで、これが収益の要になっています。現在、会員は数十社ですが、ファッション関係が多いです。使われ方はさまざまで、重要な会議であったり、株主を迎えた説明会であったり。学ばせていただくことも多々あります。たとえば、会員向けの新商品のお披露目会をする際に、部屋の特徴に応じて陳列する商品が選ばれ、そこへ順番に顧客を案内するような利用方法です。部屋それぞれの雰囲気を読み解きながら使っていただけることは、建物にとっても幸せなことですよね。

鍵野間取りを見ていただくとわかりますが、玄関、内玄関など、出入口が多いです。加えて、どの部屋も廊下とスクリーンポーチの両方に出入口をもっています。回遊性が高く、一筆書きのルート設定さえ可能です。使い勝手がとてもよいようです。

個人でも利用できるのですね

髙橋そうですね。運営側が提供しているプログラムがあり、茶道や華道のレクチャー、経営者や芸術家を招いたトークセッションなどを開催しています。華道のレクチャーでは、参加者が好きな場所を選んで、そこでお花をいけてもらいました。企業の利用と同様、建築を深く味わうことができる仕掛けを考えています。プログラムの多くは日本のアートに関係していますが、それは奥ゆかしい世界観や美意識が、利用者の感性を研ぎ澄ませたり、創造的なコミュニケーションを誘発したりすると信じているからです。庭園を日本式でまとめているのも、同じ理由です。
 このほか、登録有形文化財ですから、やはり一般公開も意識しています。昨年度は、アートを展示して、一般の方に建物と一緒に見ていただく機会を設けましたが、そこで制作された茶室作品が現在も残されています。企業だけではなく、個人にも大切にしてもらおうと考えると、やはり和のアートは有用ですね。

そうした運営の背後には、どのような方針があるのでしょう。

髙橋とくに決めごとをしているわけではありません。その都度、建物のよさを生かしながら、柔軟な対応を続けてきました。しかし、つねに意識していることがひとつあります。マスターリースが終わる20年後に、この建物の価値を最大限高めてオーナーへお返ししたい、ということです。

鍵野そうですね。それぞれの企業にとって重要な会議が開かれたり、企業のメセナとして有名な芸術家が個展を開いたり、その積み重ねも歴史ですよね。各プログラムを通して、この建物を深く知り、大切に思ってくれる方を着実に増やしていく。価値は、そうして増していくのだと思います。
 今は一般的に、背の高い建物がランドマークになりますよね。しかし、これからは建物の歴史的なストーリーや空間の質、さらにその理解を深めるような活用が大切になると思います。ここでの体験を通じて建物や空間を大事に思ってくれる人の輪が広まった結果、この建物も新たなランドマークになっていくのではないか。そんなことを、期待しています。

屋上のオープンテラス。屋根には小屋風の排気口。 写真/傍島利浩
1階のスクリーンポーチ。左手のビジネスラウンジと右手の庭の中間に位置している。半戸外のような場所。 写真/傍島利浩
1階のライブラリー。元洋室。 写真/傍島利浩
地下のギャラリー。元物置。 写真/傍島利浩
2階の個室のオフィス。元寝室。 写真/傍島利浩

まとめの文積雪でも折れない柳の枝のように

 利休七哲の筆頭、蒲生氏郷。病床を見舞った千少庵に曰く、「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山風」。花の一生には限りがあり、いずれは花を散らす。それなのに、なぜ春の山風はせわしなく吹くのだろう。この一句に、九段ハウスを重ねてみる。風吹き荒れる都心。登録有形文化財になり相続税の減免が受けられたとしても、都心では負担が大きいし、改修工事も億単位だろう。決して個人が耐えられる額ではない。山口萬吉邸はいかに継承され、九段ハウスになったのか。

 それは無論、オーナーの想いと努力が端緒にあり、3企業の資本が背景にある。しかし、ここには注目すべき3つの読み替えがあると思う。ひとつ目は構造や意匠、用途に由来する空間特性の正確な把握にもとづく用途が導かれたこと。ふたつ目は、運営者がそれを深く理解し、利用者まかせではない、建築へ深い理解を促すような体験を提供しつづけていること。そして3つ目は、従来の文化財のようないわゆる歴史体験の場ではなく、あくまで自らを歴史の線上に置いて積み重ねようとする姿勢を貫いていることである。

 竣工して約2年。九段ハウスがずっとこの場所で生きつづけたとすれば、それは用途、利用、姿勢に関する3つの読み替えが、うまく整ったことを示しているにちがいない。事業面では建物の維持管理に必要な収益の確保に努めているというが、文化財の活用がますます求められる今日、サステナブルな保存として九段ハウスに学ぶ点は多いと思う。

 さて、後の創作ともいわれるが、氏郷に対する千少庵の返歌が伝わっている。「降ると見ば 積らぬさきに 払へかし 雪には折れぬ 青柳の枝」。風と花を、雪と柳に読み替えたことで、あふれんばかりの生命力を感じさせる激励の一句になっている。九段ハウスにも、暗中模索、冬の時代があったはずだ。しかし3つの読み替えが、そこに希望の光をあてた。しなやかで折れることのない柳の枝。リースの契約期間が終わる頃、九段ハウスはきっと、大きな柳の木へと成長を遂げるだろう。

ビジネスラウンジ。スクリーンポーチ越しに庭を見る。アーチが印象的。 写真/傍島利浩
北側の門からのアプローチ。右手にあった車庫は、イベントの際に展示などを行えるオープンラウンジに改修されている。 写真/傍島利浩
  • 木子七郎氏の画像

    木子七郎Kigo Shichiro

    きご・しちろう/1884年東京生まれ。内裏の作事に代々かかわってきた大工の木子家、木子清敬の四男。1911年に東京帝国大学(現・東京大学)工科大学建築学科を卒業後、大林組に入社。12年新田帯革製造所、および関連会社の顧問。13年木子七郎建築事務所を開設。26年日本赤十字社大阪支部嘱託、同支部病院建築主任。関西を中心に多くの公共建築や住宅を手がける。54年逝去。
    提供/ニッタ