特集

2018年 夏号 移築のすすめ‑ CaseStudy#4‑移築、曳家、新築の組み合わせ

作品/「石神の家」
設計/増田啓介+増田良子

区画整理事業によって、前面道路が拡幅して土地が狭くなったが、曳家によって、既存の建物を残した。
さらに移築した古い呉服屋や新築の母屋を組み合わせ、敷地内の建物を再編集。

 今からおよそ100年前。遺伝学の開祖、ウィリアム・ベイトソン(1861~1926)が、ある発見をした。それは、生物の身体が分枝する際に遺伝情報を失うと、以降はシンメトリーに展開するというルールである。たとえば、触角のつけ根で情報が失われてしまった場合、触角が2本シンメトリーに出現し、真ん中と合わせて合計3本になる。
これを逆から考えると、シンメトリーとは、何か情報を失ったときに現れやすい現象なのかもしれない。もちろんベイトソンはそんなことは言っていないのだが、ここで紹介する「石神の家」の設計者、増田啓介さんと良子さんの話を聞くと、そんな考えもあながち間違ってはいないように思えた。

パズルのように敷地を再編

 埼玉県川口市石神。このエリアは、1994年から土地区画整理事業が進められ、現在半分ほどの工事が完了している。「石神の家」がある敷地は、裏通りはすでに工事ずみだが、表通りの拡幅工事は未完成で、多くの建物の後退が待たれている。ここでは、創業200年になる酒屋の店舗と母屋、そして座敷の後退がせまられていた。
 そこで、増田さんがまず手をつけたのは裏通り側の畑。家族の住まいを移すために母屋が新築された。引っ越しがすんだところで、次は表通り側の座敷を敷地なかほどへ曳家。続けて店舗と母屋を解体し、3キロほど離れた場所から築100年近い呉服屋の店舗と洋間を移築した。この座敷と店舗はつなぎあわせて1棟としているので申請上は2棟の新築だが、都市スケールで建物を移動させるなど、上空からパズルをしているようなダイナミックさを感じる。

酒屋は移築 座敷は曳家

 座敷の曳家は、建主からの希望だった。当初は店舗の一部も移築できるか検討したのだが、鉄骨造に木造をのせた2階建てのうち、鉄骨部分が現行法の構造強度を満たしておらず、その脇に立つ座敷だけを移動することにした。
 呉服屋のほうは、建主も増田さんもまったく知らなかった人。ソーシャルメディアにあがった建物解体と部材譲渡の告知を、友人が知らせてくれたそうだ。「石神の家」の建主は、大量の書籍をはじめさまざまなコレクションを持っているので、コレクター魂に火がついたのかもしれない。ぜひ見に行こうと盛りあがり、呉服屋の店舗と洋間の移築が決まった。
 啓介さん曰く、曳家に比べて、移築は成功する可能性が低いらしい。希望者こそ多いが、双方の工事日程が合わなければ、部材の保管場所が必要になるからだ。ここでは幸い近所の空き地を借りることができたので、座敷の曳家と店舗の解体を待つことができた。増田さんは、これまで曳家や移築の経験がなかったので、再利用のための手ばらしができる大工も、同じ友人に手配してもらった。

母屋だけは新築

 移築が初めてとなると、設計者本来の意図や性格は、まず新築の母屋のほうから読みとるのがよさそうだ。母屋は、1階にリビングとダイニングがあり、2階に4つの個室をほぼシンメトリーに配置している。最も気になる点は、さまざまに角度がふられた1階外壁と土間の形状であろう。この角度のとり方に、増田さんの意図が隠されているのではないか。
 その理由を聞くと、「私たちは、設計や施工の過程が見えることを大切にしています。階段の位置は、2階の間取りを整理した結果、土間の位置に下りてきました。そのため、階段に合わせて土間を屈折させています。もちろん、直線になるよう整理することはできます。しかし、整理しすぎると、設計の過程も消えてしまいます」と良子さんは言う。
 啓介さんも続けて、「たとえば、人の顔がよい例です。シンメトリーに見えて、実際は右だけ二重だったり、左だけえくぼができたりします。これが、人の表情をより豊かにしている。建築も同じで、シンメトリーのようなシンプルな構成をとりつつも、異なる環境や状況に対応しながら、その都度変化させる。そうすると、時間の重なりが感じられる、より豊かな空間が表れると考えています」。なるほど。シンプルな構成をベースにすることで、設計や施工の過程がより見えやすくなる。新築した母屋から増田さんの設計理念が感じられた。では、移築した店舗や洋間、曳家した座敷には、その理念がどのように表れているのか。

移築と曳家が多様な痕跡を生む

 呉服屋の店舗・洋間は、新しく酒屋の店舗と茶の間に変わった。また、商品のストックをする外物置が必要だったので、庭へのアプローチを残しつつ、片流れの屋根を追加している。移築はまず、不要な部分を解体し、瓦をはずして軸組を丁寧に解いていった。土壁や屋根下地は原型をとどめなかったので、軸組を中心に瓦や木部造作の一部を再利用している。軸組は、100年ぶりに荷重が解放され、各部で大きな反りやねじれが出たが、保管中に継手仕口の調整をして、再びうまく組み上がった。もちろん、いたんだり、強度が不足する部分は、新しい木材を追加している。黒色に塗装してあるため目立たないが、補強金物も多く使用した。屋根には、新たに断熱と通気層を設けたので、けらばの瓦と破風のあいだに新しい層ができた。
 木部造作の一部というのは、たとえば、外倉庫の表通り側の壁面である。店舗の2階にあった雨戸は下部のパネルに、天井の猿頰の竿縁は上部の横格子として再利用している。あるいは、移築後の店舗の壁2面を占める商品棚は、もともと洋間にあった格天井で、店舗にあった上がり框を土台にして、ふたつに切って設置した。日本酒や焼酎の瓶が、格天井のマス目にぴったり納まっている。
 一方の座敷は、基礎工事の後、表通り側から90度回転して着地させた。曳家のために、一時的に土台下に鉄骨を挿入したので、新しい基礎もそのフレームを避けるように欠込みをつくっている。この欠込みが曳家の痕跡になる。土壁がそのまま残せることや、構造補強を押入れなどの目立たない部分で行っていることは、移築と違う点だろう。
 ただ縁側部分は大きく変わっていて、縁板を少し残して後は土間にした。床の間の裏には書庫を増築し、土間と連続させている。土間の前には、昔の母屋の玄関庇を転用してつけ、そこから広がる庭には、曳家した際に使用した枕木、基礎工事で出土した旧道の縁石などを再利用している。

新築と移築をつなぐアドリブ操作

 このように、構造や現代の暮らしに合わせて、軸部や屋根が組み上げられる一方で、「これは、昔あそこにあったもの」という解説が次々に展開されていく。新築の母屋でさえ、出入口ドアなどに昔の母屋で使用していたものを使った。増田さんはこうした操作を「アドリブ」と表現した。構造補強や断熱を確実に行った後で、アドリブの操作が展開していくのだ。重要なことは、これが、空間の情報量を増していることだ。新築の母屋ではとくに形状として現れたアドリブ操作が、移築や曳家では使用する位置の問題として現れている。建物の配置の段階から細部に至るまで、あるいは新築と曳家、移築という手法を、このアドリブの操作が貫いていた。
 区画整理がスタートして25年。「石神の家」を出ると、なんだかさびしそうな風景が広がっている。既存の建物とセットバックした建物が乱雑な家並みをつくり、換地を待つ空き地が散在する。きっといつかニュータウンのような整然とした街が生まれる。整理されすぎた街は、いわば情報を失ったシンメトリーの街だ。
 ただ振り返ると、そこには「石神の家」が立っている。この家は、昔の酒屋や呉服屋の話、移築や曳家の話、部材を転用した話。いろいろな歴史を語りかける。そして、変わっていく石神の街に疑問を投げかけつづけるだろう。豊かな街、豊かな空間とはなんなのかと。移築という手段には、そんな力もあったのか。

  • 増田啓介氏の画像

    増田啓介Masuda Keisuke

    ますだ・けいすけ/1973年埼玉県生まれ。97年東京藝術大学美術学部建築学科卒業。97~99年原尚建築設計事務所。2000年増田アトリエを共同設立。おもな作品=「北本の家」(07)、「木曽呂の家」(10)、「浦和の家」(12)。

    (2018年7月1日時点)

  • 増田良子氏の画像

    増田良子Masuda Ryoko

    ますだ・りょうこ/1974年千葉県生まれ。98年東京藝術大学美術学部建築学科卒業。98~99年東映東京撮影所。99~2000年ムラヤマ。00年増田アトリエを共同設立。おもな作品=「北本の家」(07)、「木曽呂の家」(10)、「浦和の家」(12)。