建築家の読書術

建築家の読書術
平田晃久・藤本壮介・中村拓志・吉村靖孝・中山英之・倉方俊輔=著

書籍詳細 インタビュー 立ち読み イベントリポート

『建築家の読書術』の著者のひとり、建築史家の倉方俊輔さんに聞く
アンチ・ブックガイドとしての『建築家の読書術』
インタビュアー:長島明夫

――もともとTOTO出版の20周年ということで、展覧会やトークイベントを含めて若手建築家に本について語ってもらう企画だったそうですが、倉方さんはどういう関わり方をされたのでしょうか?

私は5人の建築家が決まったあとに依頼を受けたので、人選に関わってはいません。設計者だけよりもっと広がりを出したいということで、私が加わることになったようです。今回、71年から74年生まれという狭い範囲に限定することで逆に話に幅がでるというのは、やっていくうちにだんだん気が付いていきました。それは最初の設定がよかったのだと思います。

――本の後半は世代論が展開されていて、単なるブックガイドではなくなっていますよね。色々な読み方ができる本ですが、倉方さんとしてはこの本でどんなことを考えられていましたか?

うーん、本とは何か。もちろん個々の本の情報も載っていますけど、この変わりゆく状況のなかで何をもって本と言えるのか。既往の文章を束ねたら本と言えるのか、電子媒体は本と言えないのかとか、本の魅力を伝えるということも含めて、本の存在を考えるというテーマがひとつはありました。
加えて、建築とは何か。建築の概念もいま揺れ動いているなかで、建築ってなんだろうと考える。つまり、建築に関する本を選び、語ることで、建築とは何かが明らかになるのではという期待もありました。
あとは今回、メンバーが私も含めて同世代です。それぞれここ4、5年くらいでお会いした方たちですけど、一人一人の個性だけでなく全体として見たときに自分のなかで感じている世代観みたいなものを、ちょうどいい機会なのでまとめて語ることにしました。それはある意味で自分を語ることにもなるけれど、みなさんも自分の形成過程をさらけ出しているので、私も同じくらいの勇気を持って自分自身をさらけ出してみようかと。その3つくらいがキーとして考えていたことですね。



――この企画のユニークなところは、その人の読書歴が色濃く浮かび上がってくるところですね。建築家の創作における読書の意味について、お感じになったことはありますか?

建築をつくるというのはいまの世界を自分なりに捉えて、それに何かプラスのものを与えていくことなので、自分なりに世界の捉え方がないといけないはずです。じゃあどうすれば世界を捉えられるか。それはひたすら旅をすれば見えてくるものでもないでしょう。第一、それは不可能ですし、世界は常に移り変わっていますし、何が真に現在的であるかを見抜く眼を誰もが生まれながらに備えているわけでもありません。実際に社会に飛び込むことはもちろん必要なんですが、それだけでは限界がある。そこで本の登場です。本は擬似的にでも、他の人が捉えた世界を体験させる。それは肯定するでも、否定するでも、あるいは組み合わせるでも、読み替えるでもいいですけど、世界を捉える上での有力なツールとなります。ですから、読書が創作に直接役立つと言うよりは、創作の前提となる世界観を構成する効果が大きいのでしょう。建築家が自分で世界を掴んでいく糧として、本もあると。

――具体的に、やっぱりこの人はこの本を選んだかとか、逆にこの人はこんな本を読んでたのかとか、その辺りの印象はどうでしたか?

無茶苦茶意外だったというものはなかったかな。

――意外なものは表に出さないのかもしれないですけどね(笑)。

そうそう。僕のレクチャーの最後に言いましたが、もうすでに自分というものが形成されて、「もはや若手ではない」(p.292)から、こうした披露の仕方ができるんですね。

――単なるブックガイドでもなく、単なる読書歴でもなく、それを披露すること自体が表現になっている。

そう、それぞれの世界観のなかで本を扱っているので、とても魅力的ですよね。本当に読書術というか、建築家とはこうして本を理解しているのだなと思わされます。



――平田さんとの対話のなかで、平田さんが自分のヒーローは磯崎新さん、原広司さん、篠原一男さんだったと仰っています。それについて倉方さんは、その3人に関する紹介や批評を読むと彼らはかなり頭でっかちであるように思えてしまうけど、実際にそれぞれの書いた本を読むとそんなことはぜんぜんないと言われていますね(pp.66-67)。
ブックガイドのアンビヴァレントなところは、その本の概要はよく分かって役には立つんだけれども、その本の本質と言うか、要約できないところは掴めない。その意味で、今回の企画のように読書歴として捉えたり、執筆ではなくて発話をまとめたりするというのは、それぞれの本がその人のなかで有機的に息づいている感じが伝わります。

確かにその意味ではアンチ・ブックガイドみたいなところがあって、「ブックガイドで読んだ気になるなよ」という本なんです(笑)。建築も同じ意味で、建築の本や雑誌はアンビヴァレントなところがありますよね。本当は本物を見てほしいのに、紹介を読んで知った気になってしまうところがある。でも結局、現物を読んだほうが楽なんですよ。実際にページを開けばこんなに簡単なことを言っているのに、なんでこんな面倒くさい紹介をするんだとか、ありますよね(笑)。だから今回も、5人の建築家の読み方が必ずしも正解ではなくて、ひとつの例として、自分の読み方と比べたりしてもらえるといいですね。



――本の良さを、建築と同じで「動かない」ことだと仰っています(p.294)。これはどういうことなんでしょう。

自分たちの世代が小学生くらいの頃は社会がまだそれほど動いていなかった。まあ小さい頃はみんなそう感じるだろうから世代だけの話ではないのかもしれませんが、でもやっぱりアメリカがあってソ連があってとか、国鉄があってとか、自民党が常に与党でみたいな、要するに世界の基盤は動かないような気がしていたわけです。
でもその後にソ連がなくなったり、地図って変わるんだと思ったり、それは僕は中学生くらいの形成過程のなかでそれなりに衝撃があって、いまはそれに比べたらすべてが動いていく。そうしたなかで反知性主義もあって、計画したって物事は動いていくわけだし、本よりも現実のほうが情報量が多いから、あれこれ考えているよりも行動したほうが学習になる、という考え方があります。もちろんそのいい部分も分かっているし、生きる術として適応しているとは思いますが、ただやっぱりもう少し長い目で見る必要があるのは確かですよね。

要するに瞬間瞬間を見ると、現在の物事というのはすでに古いわけです。だからいまの状況だけを見て行動をしていたら常に遅れる。建築家にしても、未来に向けて何かを投げかけていくときに、時代に流されない本の動かなさは重要だと思うんですよ。一度書かれたテキストはパッケージとして基本的にはもう動かせないわけですが、それによって逆にいろんな読み方が可能になってくる。動いてしまうものって、こちらが何かするとずれてしまうので気を付けて扱わないといけないのだけど、本ってぞんざいに扱ってもいいんですよね。どう読んだって一字一句変わらない。隣の人とぜんぜん違う読み方をしたって、本というものがそれを保証している。
だから本の動かなさは、そこに自分の個性とか未来への投げかけとか、新しい、自分の心のなかにある、周りを見るより未来を見据えている現在を、本を読むことを通じて露わにさせる。動かないからこそ現在の鏡になる。それは本のとても良い部分ではないでしょうか。
 


プロフィール

倉方俊輔

建築史家。1971年東京都生まれ/1994年早稲田大学理工学部建築学科卒業/1999年早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程満期退学/2004年博士(工学)/2003〜2006年日本学術振興会特別研究員(PD)/2010年〜西日本工業大学准教授。建築系ラジオ共同主宰。
著書に『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社、2005年)、共著に『伊東忠太を知っていますか』(王国社、2003年)、『吉阪隆正の迷宮』(TOTO出版、2005年)、『東京建築ガイドマップ』(エクスナレッジ、2007年)がある。
ブログ『建築浴のおすすめ』http://kntkyk.blog24.fc2.com/
twitter http://twitter.com/kurakata

長島明夫
編集者。1979年神奈川県生まれ/2001年明治大学理工学部建築学科卒業/2003年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了/2003〜2008年エクスナレッジ勤務/2009年フリーランスの編集者として活動を開始、『建築と日常』創刊。
『建築と日常』HP http://kentikutonitijou.web.fc2.com/


撮影:TOTO出版
2010年10月31日 TOTO出版にて
書籍詳細 インタビュー 立ち読み イベントリポート



CLOSE
Copyright (C) TOTO LTD. All Rights Reserved.