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吉田五十八Yoshida Isoya

1894年東京の太田胃散創業者の息子として生まれる。幼少より母親に伴われ、歌舞伎界になじみ、後には歌舞伎の舞台で「プロ」として長唄を歌うまでになる。東京美術学校(現・東京藝術大学)で岡田信一郎に学び、1923年卒業後、表現派系のデザインを試みたが、渡欧して伝統に目覚め、数寄屋造のモダン化を図り、新興数寄屋を打ち立てた。戦後の旅館や料亭で影響を受けな いものはないだろう。しかし、なぜか茶室は手がけていない。

(2019年7月1日時点)

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