特集

2025年 夏号 変化の一手 ‑ CaseStudy#2 ‑レンズ工場にレンズ橋
作品/「NTKJブリッジ」
設計/宮城島崇人
The Bridge for NTKJ
日本特殊光学樹脂(NTKJ)のレンズ工場建屋のあいだに橋を架けるプロジェクト。建築家・宮城島崇人さんは、工場で製造しているプリズムレンズを建材へと活用し、光の状態でさまざまに見え方が変わる象徴的な橋を完成させた。工場で働く人たちが自社レンズの魅力を再確認できる橋であるとともに、建築の魅力を企業ブランディングにつなげる試みでもある。
取材・文/植林麻衣
写真/川辺明伸
道路から「日本特殊光学樹脂(NTKJ)」の工場敷地をのぞいたときに視界をかすめたのは、七色の光を放つ巨大なプリズムレンズ。敷地に足を踏み入れると2棟の工場のあいだには、空に雄大に身をたたえる白い鯨を思わせるブリッジ(歩廊)が架けられており、それをレンズで囲った柱が支えている。埼玉県熊谷市の工業団地に突如として現れた光景はシュールでありながら、これまで体験したことのない構造物は、興奮を搔き立てるものだった。
そして全長約30mのブリッジは、歩廊を渡るというごくあたりまえの行為を、非日常的なシークエンスに変貌させた。光の進路を屈折させるプリズムレンズは、近づいていくと鏡像が遠のき、一方で離れると鏡像が迫ってくる。また、周囲の風景をゆがめて映し出したかと思うと、風景を消し去ってレンズ自体が七色に輝くことも。分散・屈折・全反射・複屈折――さまざまな作用が働き合いながら、虚像と実像、二次元と三次元が、光と戯れながら入り交じる。

建築の力でブランディングを
「日本特殊光学樹脂(NTKJ)」は世界有数の技術で光学樹脂レンズを製造する企業だ。集光機能をもつフレネルレンズをはじめとする超高精細プラスチックレンズの開発・製造を手がけ、その用途は照明や光学センサー、立体映像、アート作品など多岐にわたる。
現代表で二代目の佐藤公一さんは、創業50周年を迎える社のブランディングに取り組んでおり、ウェブサイトなどのグラフィックデザインの刷新に始まり、建築面においても工場・オフィスのリノベーションを進めている。ブリッジの建設もその一環で、現在進行中のリノベーションを含め、一手に設計を担うのが、建築家の宮城島崇人さんだ。
ブリッジの要件として出されたのは、敷地の北側・南側にある2棟の工場の往来を、物理的・心理的にスムーズにすること。2棟の工場は製造プロセスの効率化を第一とした分業体制で、雨の日は行き来しづらいという不便さはもとより、部門間で密にコミュニケーションを図りながら業務を進めることが求められた。
単なる往来のためだけなら、建築家が手がける必要はない。しかし佐藤代表には、「つくるのなら社内のコミュニケーションを促進し、ブランディング効果があるものを」というねらいがあった。



ランドスケープとしてのブリッジ
歩廊の機能を突き詰めれば「移動」だが、宮城島さんはあえて合理的に2棟をつなぐことは選ばなかった。「工場は、生産性重視のロジックでできています。そのつくり方とは異なる方法論を持ち込み、歩いて移動することがリフレッシュにもなれば、と考えました。たとえるのなら、公園でリラックスするイメージですね」と宮城島さんは語る。ブリッジも直線状に結ぶのではなく、園路のようにカーブさせ、フラットバーの手すりも公園から着想を得たデザインとしている。
そんな発想の源にあるのは、宮城島さんがブリッジのような構造物を「ランドスケープ」としてとらえる独特の建築観だろう。「工業団地と聞くと味気ない印象を受けるかもしれませんが、ブリッジを架ける2階レベルから周囲を見渡すと、工場群だけでなく、山並みや新幹線、近隣の公園など、世界とつながる豊かなコンテクストが見えてくるのです」。
建築をつくりながらそうしたチャンネルを発見し設計にフィードバックする。その過程で生まれたのが、大海原に浮かぶ鯨のようなモノコック、という着想だ。全体の構成は、竜骨を思わせる背骨とあばら骨(リブ)からなる骨組みをプレートで覆うモノコック構造というもの。日照を制御する屋根は2本の背骨をもつ台形断面、歩廊は1本の背骨の三角形断面となっており、いずれも弧を描いているため、地上から見上げると鯨の背と腹がゆるやかにねじれているような印象をもたらす。
白く湾曲した立体を支えるのが、北側・南側にそれぞれ設けられた3本組の鉄骨柱だ。3本の柱は三角状に配置されプレートで束ねられ、ブリッジの鉛直荷重と水平荷重を受ける。さらにそれを樹脂レンズで覆うことで、屋根と歩廊を透明のボックスが貫くような、独特の「景観」が誕生した。
構造は合理的な最適化をねらって決められているが、柱は被膜するレンズにより、その姿が歪められたり不明瞭になったりする。レンズ越しに目を近づけても、柱の存在は遠のくばかりでブレースがどこに配置されているのかわからない。その構成が明瞭に浮き彫りにされるのは、ライトアップされた夜間のみ。日中も、朝から夕方にかけてレンズの見え方も変われば、歩廊に投影する光の色や様相も刻々と変わっていく。レンズはこのプロジェクトならではの特殊性であり、山並みや新幹線、公園と並ぶ、ローカリティをもつコンテクストの一端を担っているのだ。

建材としてのレンズを空間として感じる
レンズを使うという発想は、設計過程の打ち合わせで出てきたもの。当初は屋内のリノベーションで開口部にプリズムレンズやフレネルレンズ、光が拡散するフライアイレンズを使うという提案もあったが、効果や機能をねらうのではなく、シンボリックな存在として歩廊に用いるというアイデアに発展していった。
過去にも建材としてレンズを使った例はあるが、これほど大々的に使うのは初めてのこと。検討段階では耐候性も懸案に上がったが、その検証も含めての実験と位置付けること。そして、気温によるレンズの膨張を考慮し、鉄骨柱とはフラットバーで縁を切った逃げのあるカーテンウォールのディテールを考案し、採用に踏み切った。レンズのサイズは1200㎜×378.2~453.8㎜で、このプロジェクトのために金型から製作。新しい基礎技術としてプレゼンテーションする役割も担っている。さらに、佐藤代表はこう語る。
「普段レンズを精密機器として扱っている技術者たちはミクロな視点で見ているので、レンズを通した光の美しさなどを現象として感じることは少ないでしょう。しかしそれが空間の一部として立ち現れたとき、製品に対する考え方も変わってくると思うのです」。技術職のみならず、営業職も然り。自社製品を「建築」という異なる角度から見たときに、新たな価値を見出し、イマジネーションを刺激する。「シンプルに空間としておもしろいしきれいですよね。こんなものを自分たちはつくっているんだと、誇りをもつきっかけにもなります。また光学樹脂レンズは特殊な領域ですので、“おもしろいブリッジがある会社”ということで、若い人が興味をもって採用にもつながれば……と期待しています」と相好を崩す。


小さな一手でもブランディングに寄与
プリズムに輝く柱脚をもつブリッジは、既存の工場空間からすると異質ともとれる存在だ。だからこそ変化するアプローチを体現し、ブランディングにも寄与するともいえる。
これまで企業が建築に投資するケースでは、新しくつくること、あるいは新築に比肩する大々的なリノベーションによって、生産性を上げるケースが多かったように思う。しかし新築や投資規模が制限を受ける時代だからこそ、小さな建築と秀逸かつユニークな視点から生まれる変化が、起爆剤となりえるのではないだろうか。「NTKJブリッジ」も単に人貨の移動を目的としてつくったのなら、コストを抑え、建築家が介入することもなかっただろう。しかし現実を飛び越える造形と、現象的ですらある柱脚という建築の力があってこそ、工場で淡々と紡がれる日常を一変させた。プロジェクトを振り返って宮城島さんはこう語る。
「これから先どうなるのか読みにくい社会だからこそ、空間・建築が重要な位置付けになると信じています。単に施設を新しくきれいにしたりするのではなく、建築がもつ“現象的”な力は、想像力を刺激し、環境を創出し、ブランディングにも寄与し、明るい未来をつくると思うのです。費用対効果は十分にあると主張したいですし、頼ってもらえるのならうれしいですね」
建築家が手がける領域は、住宅あるいはプロポーザルなどによる大きな公共案件に収斂していた傾向があるが、これからは規模やビルディングタイプにとらわれない企業案件が、建築家の職能やデザイン・構造に新しい変化をもたらす可能性も否めない。規模や投資額など制限のある状況下で変化が求められることで、自由で、ユニークで、既成概念にとどまらないクリエーションが生まれる。刺激的な建築文化の萌芽は、思いもよらないところに潜んでいるのかもしれない。
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宮城島崇人Miyagishima Takahito
みやぎしま・たかひと/1986年北海道生まれ。2011年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。同年マドリード建築大学(ETSAM)奨学生。13年宮城島崇人建築設計事務所設立。おもな作品=「サラブレッド牧場の建築群」(14~)、「仁井田本家/酒造の建築群」(16~)、「O project」(20)、「地と橋」(24)。