特集

寝室棟 斜面に沿って立つ寝室棟。南北に大きな窓を設け、山から東シナ海へと抜ける風の通り道となる。写真/傍島利浩

2025年 新春号 開放性スタディ─ 沖縄のふたり ‑ CaseStudy#4 ‑森の声を聴き、森の求めを感得する

作品/「今帰仁 石蕗(なきじん つわぶき)」
設計/山口博之

沖縄・今帰仁に古くから残る森の中に計画された宿泊施設。
設計施工を担った山口博之さんは、施主とともに丹念に森を調べあげ、自然に寄り添う小さな建築群をつくりあげた。
宿泊者は建築群を渡り歩きながら、森の中で静かな時間を過ごす。

 建築関係者のあいだでは象設計集団の名作「今帰仁村中央公民館」で名高い沖縄県今帰仁村に、諸志御嶽(しょしうたき)の植物群落があり、国の天然記念物に指定されている。文化庁文化遺産オンラインには「諸志御嶽は古くから信仰の対象となっていたため、琉球列島のなかでもかつての平地林の林相を示すまれに見る植物群落である。シダ類以上の植物200種以上が自生しており、(中略)沖縄における極相林の典型的なものとしてその価値はきわめて高い」とある。極相林とは植物群落が遷移を経て植物の種類や構造が安定し、大きく変化しなくなった森林を指す。
 その貴重な植物群落の脇を南に500mほど上がったところに、目当ての「今帰仁 石蕗(なきじん つわぶき)」がある。
 敷地面積約1千坪、高低差18mの北側傾斜地の全体が森である。当初は気づかなかったそうだが、踏み分けているうちに等高線沿いに築かれた数段の石垣を発見。土地の人の話から戦前は陸稲が栽培されていたことが判明した。すなわち、現状は天然林ではなく二次林であるが、それでも諸志御嶽の植物群落の連なりとして植生の近似性は高いにちがいない。

浴室棟 塀と屋根で覆っただけの露天風呂。荒々しい山肌の自然を観賞しながら入浴する。写真/傍島利浩
浴室棟 塀と屋根で覆っただけの露天風呂。荒々しい山肌の自然を観賞しながら入浴する。写真/傍島利浩

今帰仁の森にたたずむ宿泊施設

 ここは本土から移住してきたふたりが営む1日1組限定の宿である。
 敷地の山側、南半分は伐採など一切せず、原状を保っている。谷側の北半分に4棟が立つ。事務棟、浴室棟、寝室棟、食事棟。
 わずかな平坦地に立つ事務棟の一画に受付がある。板戸を引いて入ると、正面に点前の設え、低い天井に障子越しのやわらかな拡散光。立礼茶席の風情である。1組だけの特別な客であることが自ずと理解され、ここが静寂の調べが通奏する場所であることが暗示される。
 そこから小径を上り、戸を開けて入ると、ここから先は1組の宿泊客だけの世界。路面は現場の赤土を用いた三和土が雨に濡れて鈍く光り、クワズイモの大きな葉が行く手を半ばさえぎる。知らずのうちに視線は下を向き、歩幅が狭まる。茶庭もしくは露地。
 右に浴室棟が現れる。屋根をかけ、塀で囲った露天風呂。視界が開ける北側をあえて閉ざし、南側にだけ開いている。洗い場に座ると、露わな地層、石積みの断片、のたうつ樹木の根が崖状に目の前に迫り、圧倒される。浴槽に入って視線を上げれば逆光に樹幹が浮かび、木の葉が煌めく。森の力と多様を直に受けとめる体験は、一糸まとわぬ裸であれば一段と強く印象づけられるだろう。

寝室棟 擁壁を兼ねた1階に水まわりを納め、擁壁の上に架かる2本の鉄骨梁の上に2階の寝室がのる。写真/傍島利浩
寝室棟 擁壁を兼ねた1階に水まわりを納め、擁壁の上に架かる2本の鉄骨梁の上に2階の寝室がのる。写真/傍島利浩

寝室棟をつらぬく軸線

 浴室棟からさらに小径をたどって上がっていくと寝室棟に着く。1階に洗面室とシャワー室、階段を上がって寝室という構成。土留めと基礎を兼ねたコンクリート壁で階段を囲い、その上に鉄骨を架け渡し、左右に大きく跳ね出して2階部分を支えている。既存の地形をできるだけ崩さない工夫であり、根切時に出た土は食事棟まわりの築山に転用している。
 寝室は南北両面に大開口。設計者の山口博之さんが敷地を探索していたとき、鬱蒼と茂る樹林を縫うように、はるか先にまで視線が延びる1本の軸線を見出した。そびえ立つ2本の木、ソウシジュとホルトノキのあいだに紺碧の東シナ海、左方に伊是名島、伊平屋島が浮かび、右方に本島最北端の辺戸岬が望める。計画のすべての始点となり、設計の揺るがぬ核となった軸線の発見である。
 なるほどここが絶景というに足る「石蕗」のハイライトだと推測されるものの、訪れた日は迷走する台風のために遠景はかすみ、陸地も海も判別できない。その代わり、急変する天候がもたらす意想外の光景の展開があった。驟雨が葉を揺する。しぶきが散り、白くけむる。オオシマゼミの甲高く変調の鳴き声が雨音を切り裂く。かと思えば一転、日が差して緑が濃さを増し、下草にまだら模様が描き出され、鳥が奇声を発しながら枝を渡る。猛々しさと幽玄とがめまぐるしく移り変わる。ゴーギャン、田村一村、ルソー、かと思えば水墨の山水、等伯の松林……。

食事棟 正方形平面に方形屋根がのる。半分を屋内の食堂とし、もう半分を屋外の軒下空間とした。写真/傍島利浩
食事棟 正方形平面に方形屋根がのる。半分を屋内の食堂とし、もう半分を屋外の軒下空間とした。写真/傍島利浩

庵のような食事棟

 寝室棟から三和土の小径を下ると食事棟の庭先に出る。食事棟は5.46m角の正方形平面で方形屋根。その半分は室外である。軒の先端は地表から2mほど。くぐるようにして入る感じだ。軒先の桁を支える2本の柱が木ではなく鉄の細い角パイプに置き換えられていて、室内の椅子に腰かけると、前面に広がる庭と森の情景が絵巻物のようにさえぎられることなく水平に長く枠どられている。
 平安の昔、漂泊の詩人・西行が吉野の山深くに侘び住まいした西行庵、鎌倉の昔、鴨長明が世の無常を記した醍醐日野山中の方丈庵。どちらも正方形平面の小さなワンルーム。それが連想の引き金となったのか、西行庵、方丈庵と「石蕗」食事棟に流れる時間が時空を超えて響き合っているかのような想念にとらわれる。

事務棟 宿泊客を迎える受付。静けさのなかで過ごす施設であることを表現するため、天井を低く抑え茶室を模したつくりとした。写真/傍島利浩
事務棟 宿泊客を迎える受付。静けさのなかで過ごす施設であることを表現するため、天井を低く抑え茶室を模したつくりとした。写真/傍島利浩

吉村順三に学ぶ「建築意思」の設計施工

 ところで「石蕗」を建設するにあたっては、建具、塗装、屋根、造園などは専門の職人が担当したが、山口さんが率いる「建築意思」がこれまで手がけた建築と同様、設計と木工事の施工を担っている。
 山口さんのバイブルは『吉村順三のディテール―住宅を矩計で考える』(彰国社、1979)だという。「沖縄でのわれわれの設計は、どんな形にするかではなく、どのようにつくるかが先行します。吉村氏の矩計図からは建物のつくり方を学びました」
 そうして鍛錬されてきた設計力、積み重ねられた技量は、「石蕗」である意味、極まっているように見える。素材の種類はとても少ない。焼杉、三重産檜、木毛セメント板、サンゴ石灰岩、砂漆喰、モルタル。努めてストイック。特異なものもぜいたくなものもない。だが、細部にこだわり、時に手法を変えつつ、人の手で丁寧に仕上げ、実直につくり出している。
 木の扱いはといえば、さりげなく、入念。全体として瀟洒(しょうしゃ)という表現がふさわしい。吉村順三のモダンと京都の正統が合わせ流れ込んでいる。「確か山口さんは、京都の和室納まりの常套と洗練を嫌って、沖縄で活動しはじめたはずですよね?」と意地悪に問いただしてみても、仏のような慈悲にあふれる微笑が返ってくるばかり。
 施主の新見美也子さん・誠一さんは敷地に分け入るところから山口さんと一心同体で協働し、プロジェクトの全工程にかかわって完走。誠一さんは外壁の焼杉の技術を独学でマスター、さらに三和土仕上げへと、とどまることを知らない大車輪。美也子さんは石垣の石から客室の備品まですべての選択に洗練された趣味と好奇心をもって対応したという。
 こうして森の声を聴き、森の求めを感得しながら進められてきたプロジェクトが完成してから2年たつが、それはまだほんの序奏にすぎないのだろう。これから先、風月の恩恵を得て、4つの小屋はさらに森に溶け込み、フィナーレを知らない悠久の時が刻まれ続けていくにちがいない。

寝室棟のスタディ

山口さんによる検討段階の寝室棟のスケッチ。

山口さんによる検討段階の寝室棟のスケッチ。

敷地内の動線

フォトナンバー(ph no.)は「今帰仁 石蕗」の平面図のph no.と連動しています

ph no.1
ph no.1 事務棟の脇の小径を上り、門をくぐると右手に浴室棟がある。写真/傍島利浩

事務棟の脇の小径を上り、門をくぐると右手に浴室棟がある。

ph no.2
ph no.2 浴室棟から寝室棟へと至る小径。写真/傍島利浩

浴室棟から寝室棟へと至る小径。

ph no.3
ph no.3 寝室棟から三和土の小径を下ると食事棟がある。写真/傍島利浩

寝室棟から三和土の小径を下ると食事棟がある。

ph no.4
ph no.4 食事棟から西側を見る。左上に寝室棟、右の門を抜けると事務棟へ戻る。写真/傍島利浩

食事棟から西側を見る。左上に寝室棟、右の門を抜けると事務棟へ戻る。

  • 山口博之氏の画像

    山口博之Yamaguchi Hiroyuki

    やまぐち・ひろゆき/1977年三重県生まれ。2001年京都精華大学卒業。06年沖縄に移住。07年建築意思設立。22年法人化。おもな作品=「岩とガジュマルの家」(07)、「高志保の家」(15)、「むぎのこ共同保育園」(18)。