特集

老舗の花屋の裏側に延長したカフェの屋外テラス。無垢鋼材で格子状に組まれた鉄骨フレームに不定型なスラブがのる。 写真/藤塚光政

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花重リノベーション特集/時の積み重ねをデザインする

『TOTO通信』2024年春号では「時の積み重ねをデザインする」という特集を企画しました。古い建築の持ち味を生かして、時の積み重ねが表現された建築を特集したものです。そのなかのひとつが「花重リノベーション」。1870(明治3)年に創業した花問屋「花重」に、カフェスペースなどを増設してリノベーションした姿をご覧ください。 再生時間/4:53

2024年 春号 時の積み重ねをデザインする‑ CaseStudy#1 ‑木の履歴を鉄で継ぐ

作品/「花重リノベーション」
設計/高野洋平+森田祥子

創業明治3年、老舗の花屋「花重」のリニューアル。
設計を担った高野洋平さんと森田祥子さんは、木造の履歴を残しながらも、そこに現代の技術で組まれた鉄骨フレームを継ぐことで、未来にわたって使いつづけられる保存のかたちを目指した。

右が花屋(明治棟)で、左の暖簾をくぐると裏手にカフェと庭。 写真/藤塚光政
元作業場(江戸長屋)を一部解体、架構を現しカフェへと続く路地の入口とした。 写真/藤塚光政
江戸長屋から花屋を見る。左のカウンターからカフェのテイクアウトも可能。 写真/藤塚光政

 JR山手線日暮里(にっぽり)駅の南口改札を出て、ひっそりとした細い小径を抜けると、都立谷中霊園が広がる。周囲に高い建物はなく、都心とは思えないほどのんびりした道を進んだ先に、古い家屋が立ち並ぶ一角が現れる。この一帯は谷中の「いろは茶屋」と呼ばれ、江戸時代に「富くじ」でにぎわった天王寺への参拝客を目当てにした茶屋町であった。東京空襲で焼け残った重厚な建物のなかでも、ひときわ目立つ「花重」は創業1870(明治3)年。初代の関江重三郎が創業した老舗の花屋である。
 その建物の左脇、紫色に染められた暖簾をくぐると、納屋のようなスペースに、とつぜん現代的なカフェのテイクアウト窓口が現れ、旗竿状の裏庭が奥へと広がっている。庭には既存建物から突き出すかのように、茶色い鉄骨フレームが家型に組まれており、改修前の裏庭スペースには古い木造家屋が立っていたというから、屋根や壁面を取り払って柱梁の軸組みだけを残した「建物の残影」のように見えなくもない。だが2階の現代的なテラスの床面は鉄骨フレームから斜めに大胆にはみ出し、白い階段で既存建物と庭をつないで自由に回遊できる。ここでは木造家屋のほっこりした昭和感と、令和のカフェの居心地のよさがごく自然に共存している。

カフェ(戦前棟)2階から屋外テラスを見る。戦前棟から屋外へフレームが連続していく。 写真/藤塚光政
カフェ(戦前棟)1階。度重なる改修の履歴が刻まれた柱梁を現し、カフェへとリニューアルした。 写真/藤塚光政

何を壊して何を残すか

 三代目の故関江重三郎氏はフローリスト養成学校を設立するなど、生花業界を牽引してきた重鎮であり、昭和期の花重は多くの従業員を抱えて多忙をきわめた。だが2008年に三代目が亡くなり、四代目を継いだ中瀬いくよさんは2020年6月、経営難から店を閉じることを決めた。
 その話を聞きつけたのが、上野桜木を中心に不動産事業を展開している山陽エージェンシー。地域への貢献ができるのならばと、土地建物から事業会社まで花重をまるごと買い取って新オーナーとなり、中瀬さんは従業員となって店を切り盛りするかたちで、事業再生をスタートした。
 まずは既存建物の調査。NPO法人の「たいとう歴史都市研究会」に依頼したところ、すでに登録有形文化財となっている花屋店舗のスペースは1877(明治10)年の築で、左隣の作業場兼倉庫のほうがさらに古く、江戸時代の長屋の架構であると判明。その奥に大正末期から昭和初期頃に建てられた戦前棟があり、一番奥の昭和30年代の住居棟と社員寮が最もひどい状態で放置されていた。
 このリニューアル工事の設計を手がけたのが、高野洋平さんと森田祥子さんが共同主宰する「MARU。architecture」。
「われわれの事務所がちょうど新オーナーの会社と東京藝術大学のあいだにありまして、古い作業所をリノベーションして、道路から内部が見える開放的な造りなので、こんな感じがいいんだよ、とお声がかかったようです」と高野さんは言う。オーナーからの要望は主にふたつ。明治に建った店舗棟を地域の文化財として守ること。そして地域住民が集えるカフェとテラスをつくること。オーナーとしては、明治棟が保存できれば後はすべて壊してもかまわないという立場だが、歴史都市研究会としては、なるべく壊さずに保存したい。何を壊して何を残すべきか――三者での議論が続いた。
 森田さんが振り返る。
「建物調査がとてもおもしろくて、とくに戦前棟の間取りの変遷を四代目に聞くと、戦後の住宅難の時代に親類が入れ替わり住んだので、階段の位置や間取りが何度も変わって、柱のホゾ穴にその都度の改築の痕跡が残っているんですよ。こうした木造家屋のフレキシブルな連続性を、その履歴も含めて“動的に”保存するのがおもしろいのではないかと思いました」
 そこで戦前棟を残すことにして、ホゾ穴のある柱梁の構造体を露出させた2層吹抜けのイートインスペースに。さらにはその柱梁より細い鉄骨フレームを組んで、半屋外のボリューム空間を架構した。冒頭で触れたように、「建物の残影」にも見えるのだが、壊された住居棟や社員寮の輪郭を象っているわけではなく、むしろ空間が外へと新たに拡張していくイメージである。
「ヨーロッパの建築のリノベーションでは、古いオリジナル材と新たな建材がはっきりと別物になりますが、木造の場合は場所を変えて古材を転用したり、朽ちた部分だけ根継ぎしたりと、部材が常に動きつづけている感覚があります。花重の場合も、単に150年前の状態に戻して凍結させるのではなく、時間を止めないことが大切。いつでも“使い方を変えられる”状態にしておくことが、建物を履歴ごと保存することになると考えたのです」と森田さんは言う。

リニューアルした花屋(明治棟)。カウンターテーブルは新しくデザイン・製作された。 写真/藤塚光政
明治棟と戦前棟に挟まれたつなぎ棟。現在は花屋の作業場として使用。 写真/藤塚光政
大谷石で囲われた地下倉庫。天井はガラスに変更された。 写真/藤塚光政
明治棟2階の和室。奥の六畳間には床の間がある。 写真/藤塚光政

無垢鋼材を使った組み替え可能なフレーム

 鉄骨でフレームを組むにあたって、単管パイプのような仮設的なものを避けつつも、組み替え可能な接合にできないか。この難しい課題を抱えて、東京藝術大学の金田充弘教授に構造設計を相談したところ、60㎜角の無垢の鋼材を使ったまったく新しい工法が採用された。接合部は溶接ではなく、柱にホゾ穴を切削して梁受けを挿し、ボルトを締めて柱梁を接合する乾式工法。つまり、将来的な用途変更の際には脱着可能なのである。誤差0.1㎜という高精度の機械加工技術を使って、まるで伝統木造建築の継手のように部材を削り出し、鉄骨はクリア防錆塗装のみとした。時間経過によって錆びてゆくことは織り込み済みであったが、想定以上に錆びるスピードが速く、部分的にタッチアップをして、最近になってようやく落ち着いてきたという。
「鉄を白く塗って抽象的にするのではなくて、錆びた素材感が古い木造軸組みの延長となることで“背景化”する。背景はあくまで垂直水平のグリッドにすることで、そこに新しい要素が自由な幾何学造形で入っていけるように考えたのです。蔦が這い、木が育ち、鳥が集まってくることで、少しずつ隙間が埋められていく。常に隙間で何かが動いている状態が目標ですね」と高野さんは言う。
 まだオープンから半年ほどだが、日差しを和らげる布タープを掛けるといった改良が加えられており、使い手側の自由なアイデアで、プランターやハンモックを吊るしたり、2階のテラス席が人気のため、テラスを拡張する計画もすでに検討が始まっているという。

屋外テラスとカフェ(戦前棟)。戦前棟の木造の柱梁を延長するように組まれた鉄骨フレームと、そこに取り付くテラスや階段。 写真/藤塚光政
鉄骨フレームは日除けのための布タープを引っ掛けるための拠り所にもなる。 撮影/山内秀鬼
60㎜角の無垢鋼材で組まれた鉄骨フレームの接合部。 写真/藤塚光政
柱、梁受、梁に分解でき、将来的には解体や再構築も可能。 提供/ MARU。architecture

シンプルな原理は時代を超えて残る

 今回のリノベーションにおいて、鉄骨フレームはあくまで「工作物」扱いとなるため、このフレームに屋根や壁をつけて建築空間を増築することはできないが、日本人が見慣れた細いプロポーションの鉄骨フレームは、大きな可能性を秘めているように感じた。
「中空のパイプではなくて、無垢であることが重要なんですよ。解体して運ぶこともできますし、ホゾ穴の位置を変更しても部材をそのまま使えて、履歴が残ります。遠い将来この建物が解体されるときに、“この仕口は令和時代の高度な精密加工技術を今に伝える遺構です”というふうに言われるのかもしれませんね」
 大切なのは、その時代に即した「大きな原理」を組み込んでおくことだと高野さんは言う。木造仕口のようにシンプルな原理は、時代を超えて残る。そこに現代の精緻な金属加工技術を用いることで、鉄骨造を木造のように扱う建築表現の新たな可能性が広がっている。

庭から屋外テラスを見る。 写真/藤塚光政

使いつづけることで価値を生み出す動的保存へ

「文化財的な古い家屋を個人で維持しつづけることの息苦しさから、少しでも解放することができれば」と森田さん。個人に大きな負担を強いる静的保存から、使いつづけることで価値を生み出す動的保存へ。谷中の古い街並みに現れた「鉄で木を継ぐ」テラスは、まだ日本に数多く残る木造家屋の未来像に、ひとつの大きな技術的選択肢を与えたといえるであろう。

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before 工事中のつなぎ棟と地下倉庫。提供/MARU。architecture

工事中のつなぎ棟と地下倉庫。

before 改修前の花重。左が作業場として使われていた江戸長屋。提供/MARU。architecture

改修前の花重。左が作業場として使われていた江戸長屋。

  • 高野洋平氏の画像

    高野洋平Takano Yohei

    たかの・ようへい/1979年愛知県生まれ。2003年千葉大学大学院工学研究科建築・都市科学専攻修了。03年佐藤総合計画。13年MARU。architecture共同主宰。16年同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。22年高知工科大学特任教授。

  • 森田祥子氏の画像

    森田祥子Morita Sachiko

    もりた・さちこ/1982年茨城県生まれ。2008年早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻修了後、佐藤総合計画。10年NASCA。10年MARU。architecture設立、13年から共同主宰。

MARU。architectureのおもな作品=「土佐市複合文化施設」(2019)、「松原市民松原図書館」(19)、「生態系と共に生きる家」(21)。