浦 一也の
旅のバスルーム

バスルームは小さくても備品でいっぱい。
ミラマーレ通りに面したホテルのファサード。
「グランド・カナル」沿いのカフェ。

2022年 新春号ホテル・グリーフ・マリア・テレジア ─ イタリア・トリエステ(最終回)

領有に明け暮れた国境のホテル

 トリエステという街はイタリアの北東の端にあってアドリア海の最奥部。スロべニアとクロアチアにまたがったイストラ半島がすぐ近い。国境の街といってもいい。
 第一次世界大戦前まではオーストリア・ハンガリー帝国の港湾都市として大いに栄えたというからこのような女帝の名を冠したホテル名称にもなっている。その後イタリアと当時のユーゴスラビアも帰属をめぐって争った。
 目まぐるしく各国が領有したから文化も混在し、建物もウィーン風などがあって独特の雰囲気がつくられている。いくつもの埠頭、さびついた大倉庫群や銀行などの建築物はかつての栄華を物語る。廃墟と伸びた雑草、古い路面、そんな変わり果てた姿を見歩くのもおもしろい。栄枯盛衰のたくさんの物語が詰まっているようで感興をそそられる。
 けだるさが漂うカフェに腰を下ろす。「グランド・カナル」という短い運河には笑ってしまうが、そういえばヴェネツィア共和国とも長い戦争をしていたこともある。今は中国絡みで「一帯一路」関連の港湾都市のひとつとして取り沙汰されているというが、いつの時代でもここが要衝の地とされることに変わりはないのだ。
 このホテル、ちょっと古いが白とローズ色ファサードの五つ星。36室。ミラマーレ城(*1)に至る海岸通りに面していて路面電車を使えば街の中心からも遠くない。
 ゲストルームはさして広くないのに家具などもデスクこそ小さいがすべてセオリーどおりに揃い、よくできている。
 バスルームにはなんでもあるぞといわんばかりの装備。ビデがあるのはここがラテンの地でもあることの証し。ペデスタル(*2)型のベイスンもなつかしい。
 バスタブ、ベイスン、便器、ビデ、シャワーなどのほかに、ミラー、拡大ミラー、ドライヤー、受話器、紙巻器、ティッシュボックス、照明、カップホルダー、化粧棚、トラッシュボックス、ソープトレイ、タオルバー、ハンドレール、シャワースクリーン、ハンドタオル、フェイスタオル、バスタオル、マット、ソープ、シャンプー、コンディショナーなどアメニティはたくさん……よくぞこの狭いバスルームにと驚くほど。
 カーテンワークはバランス(*3)もカスケード(*4)もあるウィンドー・トリートメントされた本格的な設え。
 海岸通りを少し歩くとレストランなどがたくさんあり、開放的だがちょっとおしゃれ。
 このホテルにもフォーマルなダイニングルームのほかに、キラキラしたアドリア海や別荘群を望めるカフェが屋上にあって明るい陽光のもと、朝食がすてきだ。
 こんなところに長逗留して厚い本でも読んで過ごしたいものだが……。

 1994年冬にこの連載を始めてから28年、115回を数えるがこの回をもって筆を擱(お)こうと思う。連載の意義、取材の可否、コロナ禍などを考慮してのことである。この間「旅」のイメージも変わり、バスルームも進化した。これからは社会や経済、人間関係や大国の均衡すら変わる予感がある。
 それにしても宿泊したゲストルームを実測してまずいスケッチを描き、まわりの風物や歴史に触れて書き記すという不思議な行為をよく続けてきたものである。それを読んでくださったみなさまに深く感謝してお礼を申し上げたい。
長いあいだありがとうございました。

*1 ミラマーレ城:トリエステ近郊にある城館。1860年頃オーストリアのマクシミリアン大公によって築かれた。
*2 ペデスタル:柱状をした台。洗面ボール下での柱状の形は配管のカバーを兼ねている。
*3 バランス:カーテンの上部飾りのこと。Valanceと綴る。
*4 カスケード:カーテンの「ひだ」を幾重にも滝のように施す縁飾り。

Hotel Greif Maria Theresia
Add  34136 Trieste‒Viale Miramare,109 Italy
Tel  +39 040 410 115
URL  hotelgreifmariatheresia.com/en/index

  • 浦一也氏の画像

    浦 一也Ura Kazuya

    うら・かずや/建築家・インテリアデザイナー。1947年北海道生まれ。70年東京藝術大学美術学部工芸科卒業。72年同大学大学院修士課程修了。同年日建設計入社。99〜2012年日建スペースデザイン代表取締役。現在、浦一也デザイン研究室主宰。著書に『旅はゲストルーム』(東京書籍・光文社)、『測って描く旅』(彰国社)、『旅はゲストルームⅡ』『旅はゲストルームⅢ』(ともに光文社)がある。