特集

左:寳神尚史 右:藤田雄介 写真/川辺明伸

2021年 春号 建築家のもうひとつの仕事‑ 対談 ‑建築に対するもうひとつのアプローチ

設計事務所は、日常の業務だけでも十分に忙しい。
しかしそれでも、あえて「もうひとつの仕事」をもっている建築家が増えてきている。
それはなぜか、またどんな魅力があるのか。
「もうひとつの仕事」でも活躍するふたりに話を聞いた。

まずは、おふたりの「もうひとつの仕事」を簡単に教えてください。

藤田僕は「戸戸」という小規模な建具屋をやっています。
もともとは、「R不動産」を運営するスピークが始めた内装部品を販売するサービス「toolbox」に卸していましたが、4年前に自分のネットショップをつくりました。そこで、デザインした室内用の木製建具や把手を販売しています。設計を続けるなかで建具への関心が増し、その可能性をさらに追求するための試みです。

寳神僕は建築家として独立してから、依頼が来ない限り仕事が始まらない請負の仕組みを、自分でものづくりを始められる仕組みに転換すべきだと強く感じたんです。設計という、最もやりたいことを続けるために導き出した答えが「企画をして、融資を受けて費用を確保し、設計後も所有して運用していくまでを自分でやる」という方法でした。それで現在は、いわば不動産ディベロッパー兼オーナーをやっています。

「もうひとつの仕事」が増えているのは
時代背景のため?

一般社会でも副業・兼業が推奨されるようになりつつありますが、建築業界においても、設計以外の分野でも活躍する人が増えているように思います。一概に何が要因だとはいえませんが、たとえば時代の変化が影響しているのでしょうか。

寳神僕のケースが時代と呼応しているかはわかりません。
しかし請負モデルの限界については、僕以外にも多くの方が感じていると思います。
 一方、藤田さんの活躍は確実に時代の流れとリンクしていますよね。建築業界のかつての新築主義が寛容になり、リノベーションも建築家の仕事として評価されるようになった。toolboxの登場も、リノベーションが社会的にも地位を得て、住み手自身も建物を改造し、パーツに自らアクセスするようになったという背景がある。こうした時代のニーズに、藤田さんの建具や部品がマッチしたんだと思います。
 また、建築を評価する際に、「かたち」だけでなく「プログラム」や「提案」といったソフト面にも注目が集まる時代になったことも大きなポイントだと思います。こうして「新築住宅や商業施設、公共建築の設計以外は建築家の仕事ではない」と、業界全体が暗黙のうちに狭くしていた建築家の職域が拡大したのではないでしょうか。

藤田かつての「建築家のデビュー作=新築住宅」という時代ではなく、僕らの時代は住宅のリノベーションがデビュー作になることが増えましたしね。だからこそ、同世代の多くの建築家には「新築をやりたい」という気持ちが大きい。寳神さんの手法は、みんな素直にうらやましいと感じているはずです。真似できるかは別ですが(笑)。

「もうひとつの仕事をもっている」という観点から、おふたりが注目している建築家はいますか。

寳神香川県の「仏生山(ぶっしょうざん)温泉」の岡昇平さんです。帰郷したタイミングにお父さんが温泉を掘り当て、その温泉施設を設計され、さらにそれを起点に周辺の街の魅力づくりも行っている。ときどき自らも番台をするなんて、とても理想的な働き方だと思います。「HAGISO」の宮崎晃吉さんも、設計事務所ながら街を豊かにするさまざまな事業をされていますね。藤岡龍介さんは、自らリノベーションした町屋を「奈良町宿 紀寺の家」という町宿にして運営されています。ただ宿にしたのではなく、奈良の町屋保存活動のモデルケースになっているのがすばらしい。また、富山県で山川智嗣さんが営む「BED AND CRAFT」もおもしろい。自宅を宿に改修して運営しながら、地域の職人の仕事に触れられる場所づくりをしている。

藤田大室佑介さんもおもしろい活動をされています。三重県の自宅周辺の空き家となった工場を改装し「私立大室美術館」を運営し、アーティストの発表の場をつくっている。水野太史さんは、愛知県常滑市の実家「水野製陶園」を引き継ぎながら、焼き物の可能性を広げる活動をされています。能作淳平さんが運営する日替わりシェア商店「富士見台トンネル」は、子育て世帯の主婦が特技を発揮し、やりがいを得られるような場所を提供している。
 しかし、仕事が複数あることは何も現代的な現象ではありませんね。代表的な例では、ル・コルビュジエも雑誌の編集をしていたし、アルヴァ・アールトもデザインした家具や照明器具を販売するブランド「アルテック」をやっていた。吉田五十八も設計施工を自社で賄っていました。

寳神大体の建築家は、設計業だけで自立してやっていけるし、みんな金銭のために副業・兼業をしているわけではない。かつては大学の先生くらいしか選択肢がなかったかもしれませんが、今やこれだけ多くの人がさまざまなことにチャレンジしている。それは、やはり設計にフィードバックがあるからだと思います。

左:藤田雄介 右:寳神尚史 写真/川辺明伸

「もうひとつの仕事」によって気づいたこと

確かに、挙げられた建築家のみなさんも設計とリンクした活動をされていますね。おふたりは、実際に本業の設計に対するフィードバックや知見を得ましたか。

寳神もちろんです。僕のこのやり方は、自分の設計にいろいろな影響を与えてくれるという点でも、とても楽しい。自分のものだからこそできるデザインの自由さがあると同時に、運用していけるようにつくらなければ自分の首を絞めることになるので、賃貸物件として耐えうる設計も意識しています。また、自分で所有するからこそメンテナンスを続け、コントロールしていけることもすごく学びになっています。建築家にとっての建物のピークが竣工時ではなく、ずっとかかわり続けられるなんて、本当にうれしいことです。引渡しを寂しく感じるのは、きっと僕だけではないはずです(笑)。
 ほかにも、自分で企画や借り入れ、設計から運用までをやっているからこそできることを社会に示していきたいという想いが強くなりました。じつは、当初は自費で建てたことを公表するかさえ迷っていたんです。でも今は、僕の方法をおもしろいといってくれる人も増えてきた。つくっているのは一個単位でも、点が連なって線になり、面になっていけば、街に寄与できるのではないかと思っています。

藤田寳神さんの、自発的に都市をつくっていくような発想はとても衝撃的でした。建築家が請負で小さな建築物を積み上げていっても、どうしても限界があります。しかし、実際にある土地を意図的につなげていければ、本当に街になっていく可能性があります。

寳神まさに僕も「この方法なら、個人の設計者がボトムアップでまちづくりをしていけるかもしれない」と気づいたとき、とても興奮したんです。小さな存在であれど、何年かに一回つくっていければ、建物ひとつの意匠にとどまらず、街の質を少しでもよくしていける。作品主義のアトリエ事務所(青木淳建築計画事務所)に在籍し、かたちばかり考えていた自分が街のあり方を考え出すなんて、何よりその変化が我ながら可笑しかった(笑)。
 でも設計者って、いつだって思わぬ出会いや広がりがあったときに、喜びを感じるものです。藤田さんも、自分の建具をたくさんの建築家や住み手が使っているなんて、とても興奮しますよね。あそこにもここにも、と自分の仕事が入り込むなんて素敵ですよ。僕の場合は、街へのコミットがそれにあたるんだと思います。

藤田僕も同感です。建具や把手などは、最初は自分の設計案件で制作しただけだったので、どうしても一回きりで終わりになることがジレンマでした。それをもっと拡散させ、都市のマクロなものに広げていくには、マーケットをつくって流通させるしかない、と。
 寳神さんが建築と長く付き合っていくのとは反対に、「戸戸」は納品すればその後に関与することはできません。それでもやはり、使ってもらえるとうれしい。使われ方もおもしろくて、自分の作品に溶け込ませる人もいるし、意外な使い方をする人もいる。タネを飛ばしたら、思わぬところで思わぬ色になった花が咲いているような感じです。全面的に設計をしなくても、小さいながら自分の建築的理念を込めた「もの」を介入させることで、利用者と間接的にコミュニケーションをしていると気づきました。

「マイクロ」からならば誰にでも始められる

「もうひとつの仕事」を通して、寳神さんも藤田さんも「ボトムアップ」かつ「マイクロ」な範囲から社会を変えているという点が共通していますね。寳神さんが都市開発をやったり、藤田さんが大手建具メーカーと同様の生産・流通をしたりするのは、資本力をはじめさまざまな点で難しい。けれど、設計事務所なりの規模にうまく落とし込むことで、行政や大企業が担っていた世界に、建築家らしい方法でアプローチしていると感じます。
 しかし「もうひとつの仕事」とはいえ、それなりの資金や環境・組織づくりが必要になります。寳神さんが請負に限界を感じたのも、不景気ゆえに求めているほどの仕事がないからですよね。それなのに「もうひとつの仕事」を始めているのは、一見潤沢な自己資金や好都合な環境があるからのように思えてしまいます。運営や資金に対する工夫をうかがいたいです。また、建築士法で管理建築士は専任であることが定められていますが、その点はどのようにクリアしていますか。

藤田現在は、誰でもインターネット上で自分のお店を簡単に開設できるサービスがあります。「戸戸」も、ウェブサイトの立ち上げや注力したデザインには費用が必要でしたが、販売システムは既存のサービスから借りて組み込んでいます。だからあまりお金がかかっていない。建具は完全受注生産だし、パーツ類も小さくて在庫も多くはないので倉庫代も不要です。
 組織や運営については、弊社はパートナーの伊藤が管理建築士なので兼業は問題ありません。また「戸戸」も今は分離せず、事務所のみんなで在庫管理や商品・請求書の発送をし、別のスタッフは雇っていません。今後事業が大きくなれば、本業への圧迫がないように増員が必要になるかもしれませんが、今のところは、現在の事務所でできる範囲です。ロスがほとんどなく、経済的にもマイクロに始められるので、ぜひみんなやったほうがいいと思います。

寳神私の場合は、請負か自分が発注しているかの違いはあれど、どちらも設計なので運営はなんら変わりません。淡々とものづくりが続いている感じです。普段の請負の設計と業務が重なる際は、設計期間を調整しています。不動産を扱う場面でも、新たに資格取得をする必要もないし、賃貸に出している建物の管理もほとんどありません。必要なものはその都度業者に発注してしまえば手を煩わされることもなく、費用も大きくはかかりません。日々の業務はほぼなく、本業の専任性にも影響はありません。僕もみなさんやったほうがいいと思っています。

藤田しかし、億単位のお金を借りて土地を買うのはやはり真似できる気がしません(笑)。

寳神確かに、借金して土地を買うなんてハードルが高そうに見えますよね(笑)。
 資金の工面についてはインタビューでもお話ししましたが、僕は不動産事業の仕組みを使ってお金を借りています。金融機関にとって建物や土地にお金を貸すのは安定したビジネスとして確立しているし、賃貸業も同様です。そこに、設計が得意な僕が自分の強みを生かしてデザインするというのは、自然で説得力もある。それに金融機関も、その後の利回りや、もしものときの回収も考えてお金を貸しているので、査定が出た時点で身ぐるみを剝がされる危険はほとんどありません(笑)。
「日本政策金融公庫」を利用するのもひとつの手です。個人のチャレンジを応援し、融資してくれます。つまり「はじめの一歩」を踏み出すための支援は、誰に対しても開かれているんです。その後は、日々の仕事をしっかりやりながら続けていく。やりたいことや信念を貫くには、やはりそれに尽きます。

「もうひとつの仕事」とは何か

藤田僕らの場合は設計ですが、どんな職種でも、自分が普段やっている本業とリンクしていることがやはり重要ですよね。「もうひとつの仕事」は、当然なんでもいいわけじゃない。僕の場合は、自分が今後設計をしていくなかで、建具や境界がテーマになると強く思っていました。それを深掘りするためにはこういうアプローチも必要だと思ったから「戸戸」を始めたんです。建築に対するもうひとつのアプローチが、僕の場合はこうした小規模な生産・流通=「マイクロ・マーケット」だったんだと思います。

寳神本業に対する別のアプローチが「マイクロな何か」なんですよね。僕も、そもそも大好きな設計をずっとしていたいし、設計した建物をずっと手元で見ていたかったから、こうした仕事=「マイクロ・ディベロップメント」を始めた。こう表現すると、資本主義社会のなかの仕組み上、新たなシステムが立ち上がっているようにみえるし、実際そうではあるんですが、当人たちのもともとの意識としては「仕事をつくった」というより、「好きなことを深掘りした結果」という認識なんです。だから僕も、好きなことを深掘りすることから始めることを奨めたい。
 誰にだって、どこであっても、できる事業が必ずあります。たとえば、都市にも地方にも、ここを変えれば街が少しよくなるんじゃないか、という場所や建物がたくさん転がっています。大企業からみれば小さなことかもしれませんが、マイクロという視点に立って自分が好きなことを始めさえすれば、どんなことでもできるし、そんな人が増えていけば、社会も変わると僕は信じています。

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    藤田雄介Fujita Yusuke

    ふじた・ゆうすけ/1981年兵庫県生まれ。2005年日本大学生産工学部建築工学科卒業。07年東京都市大学大学院工学研究科修了。08〜09年手塚建築研究所勤務。10年Camp Design inc. 設立。おもな作品=「花畑団地27号棟プロジェクト」(14)、「柱の間の家」(16)、「井桁の間」(16)、「AKO HAT」(19)

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    寳神尚史Houjin Hisashi

    ほうじん・ひさし/1975年神奈川県生まれ。97年明治大学理工学部建築学科卒業。99年明治大学大学院理工学研究科建築学専攻修了。99〜2005年青木淳建築計画事務所勤務。05 年日吉坂事務所設立。おもな作品=「CAPTAINS’ TOKYO」(11)、「house I」(12)、「GINZA ITOYA」( 15 )、「KITAYON」(17)。