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1912年、大倉孫兵衛は、長男和親とともに日本陶器内に製陶研究所を設立、衛生陶器の研究を開始します。進取の精神をもって前進することが大切であるという、熱い想いを表明したのがこの言葉です。
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百木三郎が社長に就任したのは戦時下の1939年。統制経済が強まる中、経営の独立を守るために懸命な努力を続けました。技術の習得以前に人間性が重要だと説いています。
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航空技術者だった杉原周一は戦後東洋陶器に入社し、水栓金具部門を任せられます。若手社員に対しては、「突飛な意見でも話し合うことが大事。まず、ひっかきまわす人が必要だ」と檄を飛ばしました。
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1976年、オイルショックによる不況の影響が続く中、第3次5カ年計画の発表に当たって当時の黒河隼人社長が、新たな局面に対する従業員の発想の転換と積極的な行動を促した言葉です。
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山田勝次社長は社内誌『陶友』の1984年新年特別号において、この言葉とともに業界の新製品開発競争が熾烈になっていることを指摘して、営業、開発、製造の一致団結を求めました。
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TOTOは戦後間もない昭和23年、100日間に及ぶ労働争議により経営が危機に瀕するという経験をします。その教訓から学び取った労使協調路線は、白川宏社長のもとでも基本理念として貫かれました。
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全社を挙げてTQC(全社的品質管理)活動を推進・展開し、デミング賞を受賞したことを受けての言葉です。理想の会社の実現に向け、企業体質の強化を図りました。