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新居千秋


「喚起/歓喜する建築 」


'99年7月2日〜9月4日

scene 1
 撮影:ナカサ・アンド・パートナーズ
 喚起/歓喜する建築を考えるとき、文化運動としての建築、つまりその建築が建つ前後における運動が重要である。
人々の心の中にそれは自分のものだ、自分たちのものだという意気を高揚させるような力の構築が必要である。そこで求められるプログラムは今までのものよりもっとゴッタ煮であり、かつより初源的な問いから、単純な日常から、発せられるべきである。しかしそのプログラムができて、その地域の人々の運動が始まったとしても、それだけでは喚起する建築は生まれない。もし住民運動や、デモクラシーをベースとしただけで喚起する建築が生まれるとすれば、建築家もいらないし、王侯、ファシストや独裁者が作った建物に人々が感動したり、集まったりすることはない。
喚起する建築を考える時、そこに本来あるべき姿の建築が見えてくる。それは人を感動させ、記憶に残り、ヒーリングスペースとなり、歓喜に溢れていなければならない。
そのためには文化運動としての建築だけではなく建築の空間が本来もつ構築する力を新たに創出しなければならない。
近代以前までの空間類型の豊かな歴史を溯り、自由に参照することによって、「近代化」という名の下に進められた空間の標準化、画一化から脱却することが必要であり、近代の素朴な機能主義理論では捉え切れない人々の視線、動線を交錯させて多様なコミュニケーションを誘発し、同一世界への帰属意識を高めるという、空間そのものに内在する効果に着目するべきである。そのとき、歴史的形態そのものの「具象」と、空間類型に潜む「抽象」との間で、必要な空間形態を模索することが重要である。さらに空間自体がもつ文化的機能の重要性にも留意しなければならないだろう。これら建築の空間がもつ構築する力は、近代が捨て去った地域施設が本来備え、また誘発すべき最も大切なことである。つまり「共に生きる喜び」、その空間に人々が共にある喜び、その地域の人々が生きる喜びの発見こそが最も重要だと思う。
この文化運動としての建築と空間としての建築の要素を同時にもつとき、喚起する建築は建ち上がる。

新居千秋


講演会 : 新居千秋講演会「喚起/歓喜する建築」
      7月8日 建築会館ホール


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