颱風銀座の琉球は、きびしい自然に抗するがために日常的な暑さと矛盾する頑健さへ走りすぎていた。
野太さ、おおらかさといへども、灼熱の太陽のもと余りに稚拙な佇いを呈していた。書院造りの軽やかさへの憧憬はそこいらを起点に、琉球建築伝統の量感を損なわずにすずやかな造形への希求がはじまった。
そのことは屋根匂配の微妙な変調と赤瓦にこだわりながらのテキスチュアの探求にあった。
谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」をまさに琉球の地で隈どることであり、ライトやコルビュジエをにらみながら、和辻哲郎の「風土」の感慨を体現することにあった。
若干の収斂をみたかにみえて、太陽や風、水への回帰のなかで、もとより〈原点〉といふほどのものでもなく、疼きながらいまだ、逡遁している。