「石嶺中学校」は当時の私の建築的思想—つまりは建築的力量—の総括であった。建築を通して自然や気候、産業、そして文化をも含めた「地域の全体」と向き合うこと。地域の様々な問題を正面に据えつつ、「安い公共施設」の代表的存在とも言える学校建築を、そこで一日の大半を過ごす生徒や教職員、さらにP.T.A.や地域の多くの人々が愛着を持って使い続けてゆける建築として作りあげること。
設計を始めてから竣工までの約2年半、私達はここに全労力を注ぎ込み、そしてその後もずっとこの学校を見続けている。石嶺中学校との持続した関わりの中で蓄積されてきた経験は、その後の私達の仕事の中でより確かなものとして様々な方向に展開されている。当り前のことだが、建築が世の中(社会)と不可分なものとして関わっていること、そしてその「世の中」のいくらかを変える力を持ち得るものであることを、私は石嶺中学校の仕事を通して確信するようになった。