大西:今回、TOTOギャラリー・間で展覧会をするにあたって、ぜひ竹山先生とトークをしたいと思いました。その理由は、展示をつくりながらこれまで自分たちがどんなふうに建築を考えてきたかを振り返ると、京都大学で竹山先生から学んだことが今の自分たちにつながっていると改めて感じたからです。展示を見ていただきながら、もう一度、先生とお話をしてみたいと思いました。
今回のトークのテーマは「ポエジーと建築」としています。これは実は、私が4回生のときに、竹山先生から出された前期の設計課題のタイトルです。このときのことは、とてもよく覚えています。建築をつくるときに、詩というものが非常に大事だということを学びました。
その後、大学院に進んで東京にきたときに東京の大学で行っている設計課題について聞いたら、建築のリストレーションだったり地域の社会的な課題を解決したりというものが多く、驚きました。なぜなら、竹山研究室の課題は、先生が書かれた一片の詩が渡されて、「あとは自分たちで考えなさい」というものだったからです。そこから学生たちは、どうやって課題を進めたらいいかをディスカッションして、組み立てていきました。
竹山:百田君のスタジオは、このときどんな課題でしたか。
百田:僕は門内輝行先生の研究室に所属しており、全然違う課題だったと思うのですが、何やったのか実はちゃんと覚えていないんです。竹山研の課題は、横から見ていてどう展開するのかわからない感じで、とにかく楽しそう。学部4回生だけでなく、大学院生も混じってスタジオ課題をやっていたのは、竹山研だけでしたね。
竹山:スタジオ課題というのは、1995年に僕がそういう名前にしたんです。大西さんたちが京大に入ったのは何年?
大西:2002年です。
竹山:僕が着任したのは、その10年前の1992年。その頃、京大の設計課題は、あまり面白くなかった。どこの大学もそんなものだったのかもしれないけど。特に4回生の前期課題というのが割と楽な課題で、卒業させるために必要な単位数を揃えさせてあげるもの、というような位置付けだったんですよ。僕が学生のときにそうでしたし、卒業して20年近く経って京大に戻ったら、変わっていませんでした。
これは少しピリッとしたことをやらせた方がいいなと思って、まずは先生たちがそれぞれ別の課題を出すようにしました。名前もスタジオにして、例えば高松伸さんの高松スタジオでは、「愛人の家」とか面白い課題をやっていましたね。竹山スタジオでは、ユートピアとかダイアグラムとかをテーマに、いろいろな課題をやったんですが、彼らのときはちょうど「ポエジーと建築」でした。
課題が終わった後は、京都のイムラアートギャラリーで展覧会もやらせてもらって、これもまた面白かった。そんなふうにものすごく盛り上がった課題なので、僕もよく覚えています。
課題の始めに、まずは言葉を書きました。「ポエジーとはエラーだ。人間はエラーができる。エラーをすることによって人間のクリエイティビティというのは触発される」というようなテキストを、とりあえず投げかける。それから、何でもいいのでイメージと言葉をもってこさせて、さらにふっと閃いて、もってきたイメージと言葉を別の人と交換させました。他人がつくったイメージ、他人がもってきた言葉を受け取って、建築を考えてもらう。
大西:イメージをもってきて欲しいと言われたときに、ポーランドから来ていた留学生のシモンさんが能の足さばきの図みたいなものをもってきて、研究室内で能を舞ってみせたんです。あれは忘れられません。私自身は、ろうそくをいっぱいくっつけて、それを燃やしてドロドロにするというのをもっていきました。何でそんなことをしたのか、今ではわからないですけど。
竹山:先にどんなことが起きるかは、課題を出している自分にもわからない。エラーが出まくりの状態にしながら、一人ひとりにつくってもらいました。
クライアントも誰か想定しようということになって、サッカー選手の小野伸二とか、戦国武将の豊臣秀吉とか、色々な有名人が出てきた。
大西:スーパーマンとかヒトラーとかも出てきましたね。そういういろいろな人が選ばれて、さらにその人の物語を小説にしていく。それが本当に面白かったんです。ポエジーというのは自分の中を探求するという捉え方をしがちだと思うんですけど、それだけではない、他者が入り込んでくるなかで立ち上がってくるポエジーがあるということを知るきっかけになりました。
竹山:ポエジーというのは日本語に訳せば詩情ですけど、必ずしも詩のことではない。僕には建築にポエジーを込められないか、という思いがあったんです。建築物というのは物質ですけど、建築について考えるときは、物質の面だけではない。それぞれの素材にも、それが醸し出す独特の文学的な雰囲気というか、ポエジーがあるんです。今回の展覧会を見ても、大西さんと百田さんは素材をすごく大切にしていることがわかります。ものと観念の間を、行ったり来たりしながら建築をやっていますよね。
大西:竹山先生の建築を見ていると、ポエジーを大事にされていると感じます。ご自身の設計では、そのあたりをどのように捉えていますか。
竹山:先ほど思い出したんですけど、このギャラリー・間で僕が展覧会(「竹山聖と仲間たち 不連続都市」)をさせてもらったのが1989年、今から35年前ですね。そのときのテーマは、ひとつが「不連続都市」でした。都市の美学が日本の場合はバラバラになっているけど、そういう中にも秘められた秩序があるのではないか、そういうのを拾い出して東京という場所を見ていけばいいだろうと思って、東京の都市モデルをつくりました。ふたつ目のテーマが「超領域化構想」。寝室とかキッチンとかそういった機能にとらわれない、領域を横断するような場所があるのではないか。「強羅花壇」という旅館を設計するときに、どこにも属さないけどすべてにつながっている場所というのが浮かび上がってきて、それが元になっています。「不連続都市」と「超領域化構想」。振り返ると、とても硬い言葉ですね。大西さんたちの「生き物としての建築」とかと、だいぶ違う。
僕は大学の学部は京大を卒業したのですが、大学院は東京大学の原広司先生の研究室へ進みました。原先生も言葉をとても大切にする人です。「観念の言葉で敷き詰められた道を歩いている」、みたいなことも言われていました。でも身近に接すると全然印象が違っていて、例えばこちらが荒川修作展をみてきてその感動を話したりすると、なるほどねと一旦受けながら、コンセプトや構図の話ではなくて荒川の画面の表面の白の美しさについて語り出して、「でもオレの秋田邸の白の方が断然キレイだぜ」とか言い出す。「どこが観念だよ」と思いましたが、そのうちにわかってきました。原先生は、言葉にするという努力をしながら、そして「暗示」とか「反転」とか「埋蔵」とか、方法的なイメージを語りつつ、実は物質や空間をめぐる言葉から伸ばせるものを見ているんだと。モノから決して離れない。まさに「ものからの反撃」(岩波の『世界』に掲載された論文タイトル)ですね。
ル・コルビュジエも、建築を言葉で語ったことによってチャンピオンになった人ですね。言葉で語らないと、建築は伝わらない。実際に建築の設計に携わった人なら「いや言葉じゃないんだよ」ということがわかるんだけど、メディアで建築に触れる一般の人には、言葉にしないと通じない。だから建築家は、とても複雑な気持ちで言葉を使っています。
僕も言葉を完全に信じてはいないんです。信じているところと信じていないところがある。でも言葉にしてみることによって、何かが見えてくる。言葉がまた別の形で浮かび上がってくる。そこが大事なんです。
京大に着任したばかりの頃は、建築に言葉は必要か、という議論もしましたね。少し頭でっかちの人には「言葉なんて必要ないだろう」と突っ込んでいくし、建築に言葉は要らないという人には「そんなことでちゃんとつくっていけるのか」と返す。真逆のことを言いながら、言葉にならざるものを見つめていく、そこに現れてくるものがポエジーなんだと思います。
大西:「ポエジーと建築」の課題で先生が書いてくださった詩も、ロゴスとは足場なので、そこからどのように飛翔するか、そこにポエジーが生まれる、というものだったと思います。言葉で語ろうとして語り得ないものがポエジー、確かにそうですね。竹山先生は建築を考えるときに、やはりまずロゴスから始まるのでしょうか、それとも言葉にならないものが先にあるのでしょうか。
竹山:それなりの規模のプロジェクトだと、さまざまな分析をしないとプログラムを読み取れないし、ロジカルにやらなければできません。でもロジカルにやっていった先に、どっかでそのロゴスが解体する。論理とか言葉が破綻するようなところに至るんです。そこが建築をやっていて面白い。
そのためには手を動かさなければいけません。頭で考えるのはやはりロゴスに支配されてしまうのですが、手は勝手に動いて頭脳を裏切ります。でも裏切った身体に引きずられてしまうと、脈絡がない、自分の排泄物を垂れ流すような建築になって、そういうのはまた困ります。きちんと考えよう、壊していこう、両方が同時にあることが大事。
百田:そうですね。僕たちの設計実務だと、大西さんがやりたいことをやって、僕はそのために必要なことを押さえなければならないところがあるんですが、理性的なものと感覚的なものを統合して、ひとつのものにすることが大切なんだと思います。そして、最終的にはやはり身体感覚で面白いと感じられるものへ至ることができると、自分でも一番興奮する。例えばコストや構造について考えるときに、そこからポエジーが生まれることもあり得ます。具体的なことに向き合うことを通して、ポエジーが生まれてくるというイメージがあります。
竹山:建築を考えていくときには、内在的視点と超越的視点があります。超越的視点というのは、全体を俯瞰している。内在的視点というのは、中をずっと動いている。
百田:ピラミッドをたとえに説明をされていましたよね。
竹山:ピラミッドが超越的で、ラビリンスが内在的。大抵の学生は、内在的視点までもち得ない。空間の豊かさ、身体性まで至らない。でも大西さんは、内在的視点しかないという感じで、最後にようやく全体へと至る。
僕は25歳ぐらいで最初の実作を設計したんですけど、できたときに現れたその存在感、実在感には圧倒されました。小賢しく考えていた時点では全然わからなかったものが、そこにはあったんです。超越的視点から建築を教わってきたけれども、実は内在的視点の方が重要なのではないか、そんなことを思うようになりました。
ジャック・デリダという哲学者も、建築には内在的視点しかないと言っていましたね。道こそが建築である。これは今回の展示で、大西さんと百田さんも言っていますね。道というのは身体的な視点で、身体性をキープしながら物体としての建築に至ったというのは、なかなかすごいことだと思います。
そういえば、僕が大学院生だった頃、東大には原先生と香山壽夫先生がいました。原先生は空間論なのに対して、香山先生は形態論。僕は実務をやりながら、やはり自分は原広司派だと思いましたね。香山先生は、ルイス・カーンやパラディオの建築を分析しながら、プロポーションがどう、ファサードがこう、というように形の話をされる。それはそれでもっともだと思ったんですが、形態論で考えると建築が止まるんですよ。僕はそういうふうには考えないなあと。空間というのは流れで、その流れをどうやって整理をするかというのが建築の設計になる。僕は流れ派ですね。大西さんたちがやっている「道としての建築」も、建築を流れとして捉えるということですよね。
大西:「道としての建築」は、先生がおっしゃったみたいに、中をずっと歩いていく感覚からつくっていて、外観がない、内部体験しかない、そういうものです。これは竹山先生のスタジオ課題や卒業設計の頃からずっと考え続けているイメージで、私たちが好きな建築のつくり方のひとつです。それとともに、建築を生き物みたいなものとしてつくってみたいという気持ちもあって、「生き物としての建築」がもうひとつのテーマになっています。
竹山:大西さんは、何かシャーマン的なところがある。生き物というのは自分だし、建築も自分なんだと思います。建築は心の形であって、心というのは欲望とかドロドロしたものがあるけど、それが建築になるときには、ある種の秩序をもったロゴス的なものになる。ところが大西さんの場合は、生き物と建築と自分とが重なり合っている気がします。
以前、「千ヶ滝の別荘」の模型を見せてもらったときに、外の仕上げがざらざらしてるし、中には毛皮みたいなものが貼ってあって、「うわ、気持ちわる」と言ってしまったんですよね(笑)。
生き物的な建築というのは、僕もわかる。でもそれはメタファーであって、もう少し浄化された、匂いのないもののはずなんです。でも大西さんは、匂いも含めて愛する。距離がものすごく近い。今回の展示をみて、改めてそうだと思いましたね。自分の身体の延長に建物がある。百田くんはもう少し突き放して捉えていて、客観的に見ている。大西さんは本当に内部しか知らない。内容の中にいる。それが僕はすごいと思う。
大西:なでてみたくなるとか、頬ずりしたくなるとか、それぐらいの近さがあるかな。竹山先生が京大で教えてくださったことに、ハイデガーの存在論もありました。難しいことはわかりませんでしたが、「ある」と「いる」の違いについては、よく覚えています。建築も、そこに「ある」というだけではなくて、自分の意思でそこに「いる」ということがありうる。
竹山:ハイデガーは、僕が学生のときに教授だった増田友也先生が、それについて講義をされていました。訳文もわかりにくいし、難しいですよね。僕は精神科医の木村敏さんによる説明を借りて、「ある」ということで存在は語られるけど、「いる」というところまで究めないと物事はわからない。そんな話をしたかな。建築にも存在感というか、生命ではないにしても何かが「いる」と思えるぐらいの建築をつくらなくてはいけないというようなことを、増田先生も考えていたと思います。
百田:「建てる」というのと「建立する」というのは違う、ともおっしゃっていました。
竹山:建築という行為は、祝福だと思うんですよね。特に個人としての建築家が思いを込めて、クライアントと一緒につくり出していくものが立ち上がっていくところには、存在に対する愛と喜びがある。信仰に近い感じもある。それで「建立」という言葉を使ったかもしれない。
大西:「愛される建築」というのは、私たちがずっと考えてきたことでもあります。今回、展覧会に合わせて刊行した書籍も『愛される建築を目指して』としました。
竹山:愛されることの大事さ、それが建築にとっての命だという感じは、僕もわかります。建物が長持ちするかどうかは、構造的にいくら強くても愛されなければダメで、あっさりと壊されてしまいます。逆に木造の頼りなさそうな建築でも、メンテナンスをしっかり行って、傷んだ箇所を取り替えていけば、千年だろうともたせることができる。
「愛される建築」もそうだし、「生き物のような建築」もそうだけど、全体に有機物としての捉え方ですよね。しかもそれが、あまりベタベタせずに、爽やかに建築に結晶している。とても清々しい感じ。
大西:今回、竹山先生と「ポエジーと建築」について語りたいと思ったひとつの大きな理由は、私たちが建築に「愛」だったり「生き物」だったりという言葉を使うことについて、意見をうかがいたかったからなんです。今、建築にはいろいろな社会的課題について解決することが求められています。私たちも公共施設の設計を行うなかで、そういうことに取り組んでいますけれども、一方ではやはり「愛」というような言葉や、ポエジーにかかわることに向き合っていきたいという気持ちが強いです。建築にとって、ポエジーはどのように大切なものでしょうか。
竹山:いや、要らないものですよ、ポエジーなんてなくても生きていける。要らないものだけれども、そういうものが常にあって、時代に応じて意味付けられたりする。言葉ということで言えば、原先生が使う言葉と大西さん、百田君が使う言葉は違うし、同じ言葉を使っても定義が違ってきたりする。その違いを許容するのが言葉だし、ポエジーもまさにそう。新聞記事は正確さが求められるから、時代の証言というのは新聞記事で読めばいいけど、時代の感覚というのはそのときに書かれた文学や詩に表れていたりする。建築もそうだと思います。詩的な建築というのはどういうものか、正確には定義しにくいけれども、やはり何かその時代を反映しながら、論理だけでは説明がつかないものを含んでいることが重要でしょうね。省エネルギー性能とか、客観的な指標で語られがちな建築だけれども、その中で生身の人間が住むわけだから、愛とか楽しいとか祝福とか、そういうことの方がむしろ大切なのだろうと思います。大西さんたちは、そういうようなものをつかみかけているような感じがします。
大西さんは何年生まれでしたっけ?
大西:1983年生まれです。
竹山:僕は1954年生まれで、29歳違うんですよね。それで僕より29歳上に建築家だと誰がいるのかなと思ったら、篠原一男でした。篠原さんの言葉というのは、今、思うとポエジーでしたね。不思議な言葉をポンと投げ出して、短い文章で説明もしきらないままに、あとは写真や図面を見なさい、という感じ。ああいう言葉の使い方には、僕らの世代は相当大きな影響を受けています。だから大西さんたちが使う「愛」にしても「生き物」にしても、29歳下の世代が出てきたときに、彼らがそれをどう受け止めたか、引き継ぐところもあれば、反発するところもあるだろうけど、それが重なり合ってどうなるのかというのは、すごく楽しみですね。
大西:竹山先生が建築をつくることを通して考えてこられたことは、ずっと変わらず続いているのか、それとも変化しているのか。どちらでしょう。
竹山:自分としては常に変わりたい、進化したいと思っていたんだけど、意外と変わらないなというのが実感です。ギャラリー・間で展覧会をやったときの「不連続都市」とか「超領域化」とかのテーマは、ずっと続きましたからね。その展覧会では、今、僕がいるちょうどこの位置(註:中庭中央)に、白いベニヤで円形劇場をつくって置きました。あのときは、建築というのは出会いの場をつくることであって、それを象徴する形が、当時は円形劇場だと考えたんです。その後、僕が設計した「TERRAZZA」や「周東町パストラルホール」では、円形劇場を実現させています。円形劇場は求心性があってしかも空に広がっていくという、建築のひとつの典型なんですね。昔は難しい言葉で語っていたけど、そのときに考えたことのエッセンスは、今になってそういう意味だったのかとわかる。それは「建築はふれあいの場をつくることなんだ」ということ。僕がつくってきたものは、大体そういう建物なんですね。
大西:ありがとうございます。先生の建築についてのお話でありながら、なんだか自分の言葉を聞いているような気持ちにもなりました。
大西:残りの時間で、会場からの質問を受けたいと思います。
質問者A:抽象的な質問になってしまいますが、建築家に男性的、女性的みたいなことはあると思いますか。あるとすれば、o+hでおふたりが設計を進めるやり方とどのように関連しているのか、そのあたりについて聞きたいです。
大西:先生はどう思われますか。
竹山:男性と女性で違いはあると思います。ただ男性性とはこうだ、女性性とはこうだと言ってしまうと、そこにおかしい流れが生まれてしまうので、それは言わない方がいいんでしょうね。でも、日本は女性の建築家を世界で一番輩出しているということは触れておいた方がいいかもしれない。
o+hの設計の進め方については、どうですか。
百田:先ほども少し触れましたが、建築をやっていて面白いと思うのは、相反するふたつのことを両方とも充たそうとする場面がしばしばあって、感覚的なものと理性的なもの、建物の中を考えることと町について考えること、どちらかを立てたらもう片方は難しいみたいな問題が往々にしてあるけれども、建築を考えるうえでは、両方がエンジンだと思って、それをひとつの運動みたいにして考えるしかありません。それに応えていろいろな条件をクリアして、やっとひとつの建築ができる。大西さんはやりたいことをやるという人だから、僕が条件を整理した案に対して一言、「かわいくない」と返してくる。こちらはブチギレるわけです(笑)。かわいいだけで建築できたら苦労しないよ、みたいな言い合いをしながら設計を進めるんですが、そういうところが面白い。
大西:学生時代は論理的に考えることが本当に苦手なタイプでした。設計課題のエスキースでも、訳がわからない謎の形の模型をつくって、謎の言葉で説明しているという感じで、なかなか認めてもらえません。竹山先生だけが、その謎の形や謎の言葉を「面白いね」と言ってくださって、そこから頑張れるという感じでした。訳のわからないものを出してみて、そこからスタートするというやり方は、竹山先生が教えてくださったことです。
竹山:面白い発想だといつも思ってました。加えてすごいと思うのは、それを図面にする力がある。中から見た図面を描けるんですよ。空間を自分で勝手ながらつくって、まだ十分に整理できていないけど、頭の中にはすごい発想が生まれていることがわかる。伝わってくるんですね。
百田:大西さんの絵のすごいところは、本当に自分の描きたいものを描く。描きたいものが大きくなるし、人もスケールが合っていなくて、巨人みたいになってたりする。でもそれで何か世界が成立してしまうみたいなところがある。
竹山:あと最初から穴蔵(あなぐら)なんですよね。外部のない建築。
質問者B:さっきジャック・デリダについてのお話がありました。その辺についてさらに聞きたいです。観念的に建築を考えたときに、我々の実生活と建築がどう関わってくるか、そのあたりに関心があります。
竹山:原広司先生が成人した頃に影響力をもった哲学者というと、ジャン=ポール・サルトルになります。サルトルの「哲学に何が可能か」を原先生は「建築に何が可能か」とパラフレーズしました。サルトルの哲学は、主体性がある私がいて、私は自由を求めるという実存主義。
その少し後に構造主義が出てきます。クロード・レヴィ=ストロースが言ったのは、個人の自由が人間の未来を拓くと実存主義は言うけど、人間は自由ではない、その地域の文化に捉えられているんだ、ということでした。サルトルと論争になって、レヴィ=ストロースが勝ったとされます。サルトルに対して「あなたの思想も1960年代のフランスの知識人の思想というふうに、100年後にはくくられるだろう」というのがトドメでした。全然、自由ではない。それが構造主義です。建築家の世代で言えば、山本理顕さんのあたりがこれに当たります。
僕らの時代には、脱構築とかポストモダンと呼ばれる思想が席巻していました。人間を超える制度のようなものがいろいろあって、人間に主体性はないけれども、物事を少しずらしていくと、何かいろいろ変なものが出てきて、もっと自由になれる。何々でなければいけないとか、教条的に主義主張を断定するんじゃないよ、そういうことをデリダは言い出した。デリダはさらに、言葉において話し言葉ではなく、書き言葉が重要だという。なぜかというと、今この場で僕がしゃべったことは、一応その通り受け取られるけど、これを言葉で書き留めて、それをこの場にいない人たちが読むと、違うように解釈することができる。デリダはそうして書きつけられる言葉が誤解を生みながら文化をつくっていくということに面白さを見いだした。
ジャック・ラカンとかジル・ドゥルーズとか、ほかにも重要な思想家がいろいろいて、彼らの本を読んだり、先輩から聞いて学んだりしましたが、それが自分の建築とどう結びついているかはわかりません。でも基本的には、設計するのは生身の人間ですし、いろいろ考えた挙句に一本線を引いているわけで、そのときにひょっとしたら自分でもわからないけど、デリダ的な何か、ラカン的な何かが出ているかもしれないですね。
そんな程度です。その後の哲学の流れはあまり知らないし、むしろ社会学のアンソニー・ギデンズとか、『正義論』のジョン・ロールズとか、哲学者ではなく、もう少し社会に直接影響を与えるような人たちが出てきていますよね。
若いときは、スポンジのようにたくさんのことを吸収できるので、思想や哲学ばかりでなく、いろいろな知識に接したらいいですよ。サイエンスの各分野もものすごく進んでいますし、テクノロジーも新しいものがどんどん出てきて面白い。そういうものが今の時代を形成し、今、20代の人はそれが刻印されて思想を形成するんです。いずれは自分が生きる糧となるような知識と出会えると思います。
大西:竹山研で飲みに行くと、こういう話を竹山先生がずっとしてくださったことを思い出しました。先生ご自身が面白いと思っていることを話してくださるから、そこから影響を受けるんですよね。
それではこの辺りで終了したいと思います。本日はどうもありがとうございました。
開催日:2024年9月21日
於:TOTOギャラリー・間 3F中庭にて
編集:磯達雄(Office Bunga)